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真淳(しんじゅん、文明元年(1736年) - 文化4年(1807年))は、江戸時代・中期から後期にかけての真宗高田派の僧である。 江戸期の円遵を中心とした真宗高田派の復古運動の中、末法無戒を主張する浄土真宗の教えにおいて、自ら円頓戒を実践し、また戒律を顕彰する著述活動を行った。代表的な著作として、真慧の『顕正流義鈔』に対する注釈書が4冊、戒律についての主著として『下野伝戒記』、『下野大戒秘要』などがある。 == 生涯 == 文明元年、真宗高田派の僧、真証の長男として生まれる。十二歳で得度、十六歳の時に京都へ遊学する。二十歳で再び京都へ行き、徳門普寂の元で、倶舎・唯識・華厳の思想を学ぶ。他に梵網経を講じた禅僧、大雲林説に師事したともいう。 *二十七歳の時、高田派・智慧光院の住職となる。 *天明六年(1786年)に安居講師となり、その後、宗門の学僧として活躍することとなる。 *寛政八年(1796年)に勧学堂を作り、学頭職に命ぜられ、翌年に権僧正に就任する。 *文化四年(1807年)に逝去。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「真淳」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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