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真湖道代 : ウィキペディア日本語版
真湖道代[まこ みちよ]

真湖 道代(まこ みちよ、1949年8月18日 - )は、日本の女優映画プロデューサーである〔キネ旬, p.601.〕〔''真湖道代''、''jlogos.com'', エア、2014年10月10日閲覧。〕〔年鑑, p.136-139, 154-156, 169-174, 179-184.〕〔国立国会図書館サーチ 検索結果、国立国会図書館、2014年10月10日閲覧。〕〔''Michiyo Mako'', インターネット・ムービー・データベース 、2014年10月10日閲覧。〕〔''真湖道代''東京国立近代美術館フィルムセンター、2014年10月10日閲覧。〕〔''真湖道代''、日本映画情報システム、文化庁、2014年10月10日閲覧。〕〔''真湖道代''・''真湖みちよ''日本映画製作者連盟、2014年10月10日閲覧。〕〔''真湖道代''KINENOTE, 2014年10月10日閲覧。〕〔''真湖道代''allcinema, 2014年10月10日閲覧。〕〔''真湖みちよ''日本映画データベース、2014年10月10日閲覧。〕〔''真湖道代''東宝、2014年10月10日閲覧。〕〔''真湖道代''日活、2014年10月10日閲覧。〕〔大蔵映画黎明期プログラムリスト 、''PINK HOLIC'', トライワークス、2014年10月10日閲覧。〕。真湖 みちよと表記された作品も存在する〔〔。出生名不明〔〔〔、代々木忠(本名・渡辺輝男〔, 2014年10月10日閲覧。〕)との婚姻後の本名は渡辺 和子(わたなべ かずこ)。
== 人物・来歴 ==

=== 成人映画の時代 ===
1949年(昭和24年)8月18日、北海道に生まれる〔〔〔。
時期は不明であるが東京に移り、満17歳のときである1967年(昭和42年)3月7日に公開された『泥だらけの制服』(監督新藤孝衛)に主演して、映画界にデビューした、とされる〔〔〔。同様の記述のある『日本映画俳優全集・女優編』には、『縄と乳房』(監督経堂一郎岸信太郎、主演新高恵子)に出演した旨の記述があり〔、同作は『泥だらけの制服』よりも早い、同年1月31日の公開作品である〔〔。同年2月公開の『残忍』(監督小森白、主演松井康子)にも出演しており〔、いずれにしても『泥だらけの制服』は初主演作である〔〔〔〔〔〔〔〔〔〔〔。同年4月15日に公開された向井寛山本晋也若松孝二の若手3監督によるオムニバス或る密通』のうち、山本が監督した『第二話 色夢』にも、港雄一を相手に主演を務めている〔。同年、ワールド映画助監督だった渡辺忠〔、、2014年10月10日閲覧。〕こと渡辺輝男(のちの代々木忠)と結婚する。『日本映画発達史』の田中純一郎は、同書のなかで黎明期の成人映画界のおもな出演者を列挙しているが、真湖についての言及はない〔田中, p.85-86.〕。1966年デビューの一星ケミ(1947年 - )や祝真理(1948年 - )、同じ1967年デビューの辰巳典子(1947年 - )や谷ナオミ(1948年 - )、青山リマ(1949年 - )、白川和子(1947年 - )ら同様、戦後生まれの第二世代に属する。
1968年(昭和43年)には、まだ日活ロマンポルノ(1971年 - 1988年)を開始していなかった日活がいくつか成人映画に触手を伸ばしており、児井英生青山プロダクションが製作した『ある色魔の告白 色欲の果て』(監督江崎実生、脚本山崎巌)に乱孝寿林美樹高月絢子火鳥こずえ、辰巳典子、美矢かほる清水世津橘桂子大月麗子高鳥和子らとともに出演、同じく『秘帳 女浮世草紙』(監督井田探、構成小川欽也、脚本山崎巌)に火鳥こずえ、辰巳典子、林美樹、乱孝寿、中原かほる、高月絢子らとともに出演、それぞれ同年8月14日、同年10月19日に公開された〔〔〔〔〔〔〔。翌1969年(昭和44年)1月15日に公開された東宝の正月第二弾映画『ドリフターズですよ!特訓特訓また特訓』(監督渡辺祐介)にも、出演している〔〔〔〔〔〔〔。1971年(昭和46年)11月、日活が成人映画路線に全面的に舵を切り、「日活ロマンポルノ」を開始すると、ワールド映画の営業部長であった藤村政治が設立、夫の代々木忠が所属するプリマ企画が製作していた作品が日活配給で封切られるようになり、次々に主演を務めている〔〔。1972年(昭和47年)8月に新東宝興業が配給して公開された『無防備の肌』(監督堀越善明)では、同年6月26日に発生した「第一ホテル女医殺人事件」の被害者を主人公として演じ、好評を得たという〔。
1974年(昭和49年)には、大蔵映画等で主演を張る一方、同年9月に日活の配給で公開された『ドキュメント・ポルノ 新トルコテクニック大全集』(監督・構成山本晋也)では、同作を製作した夫(当時渡辺忠)の製作会社であるワタナベプロダクションでプロデューサーを務めた〔〔〔。1976年(昭和51年)に入ると、ほぼ専業プロデューサーに徹するようになる〔〔〔。1980年(昭和55年)11月21日に公開された『㊙盗聴 しゃぶり泣き』(監督中村幻児)以降、映画製作者としてのクレジットもみられなくなる〔〔〔〔〔〔〔〔〔〔〔〔。満31歳であった。この時期、夫の代々木忠がAV監督に転向、1981年(昭和56年)12月21日には、アダルトビデオメーカーアテナ映像を設立している〔会社概要 アテナ映像、2014年10月10日閲覧。〕。
2011年(平成23年)1月22日に公開された『YOYOCHU SEXと代々木忠の世界』(監督石岡正人)のなかのインタビューに登場した〔更に貴重といえば、代々木監督夫人のインタビュー映像で、かつてピンク映画の女優だった真湖道代 モルモット吉田、2010年12月2日付、2014年10月10日閲覧。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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