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真理姫 : ウィキペディア日本語版
真竜院[しんりゅういん]
真竜院眞龍院、しんりゅういん、天文19年(1550年) - 正保4年7月7日1647年8月7日))は、戦国時代から江戸時代初期にかけての女性。武田信玄の三女で、木曾義昌の正室。俗名は真理姫(まりひめ)と伝わる。兄に武田義信武田勝頼がいる。
== 生涯 ==
天文19年(1550年)、武田信玄の三女(四女または五女との異説あり)として生まれる。
弘治元年(1555年)に木曾義康甲斐武田氏に降伏し、信玄は信濃美濃飛騨の国境を守る重要拠点を支配する木曾氏の存在を重く見て、義康の嫡男・義昌の正室に真理姫を与えて、木曾氏を親族衆としている。真竜院の輿入れに際しては付属して千村備前守・山村新左衛門の両名が派遣され、新竜院の側近・目付としている。義昌との間には嫡男・義利らが生まれている。
しかし天正10年(1582年)、織田信長による甲州征伐が始まると、夫の義昌が兄の勝頼から離反して信長と結んだため、自ら義昌と離別して木曾山中に隠遁し、三男・義一(よしかづ)と暮らしたといわれる。義利が徳川家康改易されたのちには、旧家臣らによって保護されていたようであるが、その折の心情を切々と訴え哀れを誘う書状が木曽に残されている。
正保4年(1647年)に死去した。享年98。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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