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真田幸政[さなだ ゆきまさ]
真田 幸政(さなだ ゆきまさ)は、江戸時代前期の旗本。真田昌幸の甥で娘婿。真田信之・真田信繁とは従兄弟であり、義兄弟でもある。 == 生涯 == 真田昌幸の弟・真田信尹を父とする〔 柴辻俊六 著『人物叢書‐真田昌幸』吉川弘文館、1996年、p.81〕。父と共に徳川家に仕え、慶長5年(1600年)に書院番、寛永8年(1631年)に使番に任命される。寛永9年(1632年)に父・信尹が死去し、遺跡を継いで3,000石を知行する。この際、弟・信勝に1,000石を分与する。同年、幼少であるため岡山藩から鳥取藩に移された池田光仲の元に赴き、国目付を務めた。承応元年(1652年)に鉄砲頭となる〔『新訂寛政重修諸家譜』11〕。承応2年(1653年)に死去した。 正室は伯父の昌幸の娘で、昌幸の娘の中でも末の方に当たるとされている〔。正室は明暦2年4月28日(1656年5月22日)に死去した〔。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「真田幸政」の詳細全文を読む
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