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真田範衛 : ウィキペディア日本語版
眞田範衞[さなだ のりえ]
眞田 範衞(さなだ のりえ、1889年11月15日 -1946年3月15日)は、日本教育者である。旧制灘中学校初代校長として知られる。戦後まもない1946年、発疹チフスを発病し、灘中学校校長在職中に56歳で死亡した。唱歌童謡の作詞作曲も行い、灘中学校の校歌・生徒歌の作詞の他、国定教科書に詩が採用されている。
== 編年 ==

* 1889年 静岡県伊豆市(旧田方郡中大見村)に生まれる。
* 1903年 中大見尋常高等小学校を卒業。
* 1905年 錦田尋常小学校の代用教員となる。准訓導検定試験に合格。
* 1906年 上大見尋常高等小学校准訓導となる。
* 1907年 上大見尋常高等小学校を退職し、静岡県立師範学校に入学。
* 1911年 静岡師範を卒業。静岡師範訓導となり、結婚。
* 1912年 静岡師範を休職し、東京高等師範学校本科数物化学部へ入学。
* 1916年 東京高師本科を卒業し、静岡県立浜松師範学校教諭となる。
* 1918年 東京高師専攻科修身教育部に入学。
* 1920年 東京高師専攻科を卒業し、京都府立第一高等女学校教諭となる。
* 1925年 京都第一高女校長心得に就任。
* 1926年 京都府立亀岡高等女学校校長に就任。
* 1928年 灘中学校校長に就任。以降、私立中等学校連合会や兵庫県中学校協会の要職を歴任。
* 1946年 大阪帝国大学医学部附属医院で死去。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「眞田範衞」の詳細全文を読む



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