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真田駅[さなだえき] 真田駅(さなだえき)は、1928年5月1日から1972年2月19日まで設置されていた上田交通真田傍陽線の終着駅。廃線と同時に廃駅となった。 == 概要 == 上田交通の前身のひとつ・上田温泉電軌(略称:温電)が真田傍陽線の前身である北東線を開業させたのは、小県郡東北五ヶ村が猛運動を起こしたからだが、実は菅平高原の開発という目的があったためである。温電が設立された当時、小県郡長村北部と上高井郡仁礼村(現:須坂市、須坂市の分は峰の原高原と称される。)にまたがる菅平高原は大正時代に入りスキー場として最適の地として知られるようになったが、温電は上記線建設を機に菅平高原開発を進めるようになった。当駅から直通のバスを設定して上田駅からの交通の便を図ったり、菅平に直営のホテル・スキー場を建設。さらには通年のリゾート地とするためラグビーの練習場も建設。現在の隆盛の土台を作った。当駅は、菅平の開発と切っても切り離せない歴史を持つ駅であった。 駅は長いホームをもった終着駅で、貨物側線を設けており、菅平高原で栽培されたキャベツ・レタスといった高原野菜が貨車に積まれて上田駅まで運ばれ、そこから東京・名古屋・大阪方面に輸送されていた。駅舎はバスターミナル機能を持った駅で、地味な作りながら広く、当駅から菅平高原行きの自社バス・群馬県長野原駅・鹿沢温泉行きの国鉄バスが発着していたが、丸子町駅とは違い最初からバスの大型化に対応したものであったため、後年まで改築されずに使用されたという。 駅の廃止後はバスターミナルとして駅舎がそのまま利用されていたが、老朽化が進んだため、2003年頃解体された。現在は国道144号の本線の脇にあるホームの名残が、駅跡を示すポイントとなっている。駅廃止後は、上田交通→上電バスのバス停留所・停車所となっている。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「真田駅」の詳細全文を読む
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