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真締川(まじめがわ)は、山口県宇部市を流れる二級水系の本流。 == 地理 == 山口県宇部市の男山(霜降山)に発し、未来湖(真締川ダム)を経て、戸石川などを合わせた後、宇部市の中心市街地を南下し周防灘へ注ぐ。 かつて真締川は「宇部本川」と呼ばれ、樋之口〔現在の南小串・西琴芝付近。〕でほぼ直角に西へ曲がり、犬尾〔現在の「居能」。居能駅付近。〕の海岸へと注いでいた。このため、周囲の湿地帯は水はけが悪く頻繁に河川の氾濫が発生し、有効的な土地利用が行われす荒地となっていた〔宇部市|江戸時代 〕。1791年(寛政3年)に宇部村の領主となった福原房純はこの問題を解消するべく、1797年(寛政9年)に「宇部本川」を改修し直線状の流路とする事業を計画し、工事に着手した〔〔。工事には延べ約16,000人が携わり、翌1798年(寛政10年)に延長約1,030mにおよぶ新たな流路が完成した〔〔。1801年(享和元年)、福原は改築により出来た新しい川を「新川」と命名し、同年4月10日には河川の守護と地域商業の発展を願って、左岸の市街地(現在の宇部市新天町)に「中津瀬神社」を建立した〔〔中津瀬神社 由緒 〕。 明治以降、沖ノ山炭鉱をはじめとする炭鉱群(宇部炭鉱)で採炭がはじまり、河口付近に石炭積出港として宇部港が築港され、周辺地域の市街化が進んだ〔。「新川」はしだいに地域名称となり、下流部両岸に新たに形成された市街地は、宇部村(現宇部市)の中心地であった「上宇部地区」に対して「新川地区」と称された〔現在では、主に真締川右岸の宇部市立新川小学校校区を指す。〕。一方、川の名前は「新川の間を占める」ことから「間占川(まじめがわ)」と呼ばれるようになり、これが転じて現在の名称である「真締川」となった〔。 市街地部分は両岸に真締川公園が整備されており、1991年度(平成3年度)の都市景観100選に「真締川周辺地区」として選定された〔都市景観大賞「都市景観100選」平成3年度 受賞地区一覧 〕。 2009年(平成21年)には、上流域の宇部市川上に治水ダムである「真締川ダム」が完成した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「真締川」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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