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睿智蕭皇后[えいちしょうこうごう] 睿智蕭皇后(えいちしょうこうごう、953年 - 1009年)は、遼の景宗の皇后。諱は綽。小字は燕燕。 == 経歴 == 遼の北府宰相蕭思温の娘として生まれた。幼くして聡明で、蕭思温は「この娘は必ず家を成すことができよう」と評した。景宗が即位すると、選抜されて貴妃となった。間もなく皇后に立てられた。夫婦仲は良く、聖宗など多くの子供を産んだ。 乾亨4年(982年)、景宗が崩御すると皇太后に立てられ、摂政にあたった。耶律斜軫と韓徳譲を信任して内政を委ね、南方の軍事は耶律休哥に任せた。残忍な性格から負のイメージで語られることが多いが、果断さと人材登用能力を評価する史家もいる。 統和元年(983年)、承天皇太后の尊号を受けた。統和22年(1004年)、北宋に対する南征の軍を起こすと、戎車に乗って、三軍を指揮した。統和24年(1006年)、睿徳神略応運啓化承天皇太后と尊号を加えられた。統和27年(1009年)、崩御し、聖神宣献皇后と諡された。重熙21年(1052年)、睿智皇后と改諡された。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「睿智蕭皇后」の詳細全文を読む
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