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矢代寸神社(やしろぎじんじゃ)は、大阪府岸和田市八田町357番地にある神社。延喜式神名帳には従五位屋代村社と載せ又当地は屋代村(矢代寸)と称し、矢代寸神社ニ座あり、一座は本社にして一ノ宮と称し現在地の大字八田字宮内にあり、 一座は諏訪宮また矢代寸下神社と称し同市の神須屋町にあった。 江戸時代は岸和田藩の一ノ宮にて藩主交代の際は藩下各社社に拝礼するのを例としていたが、後に当社のみに拝礼するようになった。 歴史のある神社だか、現在は常時神主はいなく、近くの土生神社の宮司が兼任している。 == 歴史 == *503年(継体天皇元年) 鎮座する。 *1090年(寛治4年) 正月に白河上皇が熊野御幸の折参拝される。 *1640年(寛永17年) 岡部宣勝が摂津国高槻藩より入封し、当社を和泉国岸和田藩の一ノ宮とした。 *1737年(元文2年) 京都吉田家に願い出により「一宮牛頭天王(いちのみやごずてんのう)」を称される。 *1873年(明治6年) 郷社に指定される。 *1907年(明治40年) 泉南郡有真香村神須屋の諏訪神社を合祀する。内務省神社・宗教両局長依命通牒によるいわゆる「神社合祀」で泉南郡有真香村の神須屋・真上、同郡土生郷村極楽寺・流木・畑の神を合祀した。土生郷村土生にある土生神社にも合祀せよとの方針が示されたが、山原作太郎氏の反対運動によってこの合祀方針を断念させた。また畑の波多神社も合祀されるものの、後に復社される。 *1908年(明治41年)神饌幣帛料供進社に指定される。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「矢代寸神社」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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