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矢代操[やしろ みさお]
矢代 操(やしろ みさお、嘉永5年6月20日(1852年8月5日) - 明治24年(1891年)4月2日)は、日本の民法学者。明治大学の創立者の1人である。ギュスターヴ・エミール・ボアソナードの弟子。
==経歴== 1852年、越前国(現福井県)にて鯖江藩士松本伝互の三男として生まれる。初名は美太(よしふと)。後に鯖江藩士矢代家の養子となった。 藩校進徳館で学び、維新後、貢進生に選ばれ後に大学南校を経て司法省法学校に進む。卒業後、法律系出版社時習社を設立、また法律学校である講法学社の幹事となる。ここで留学から帰国した岸本辰雄、宮城浩蔵と知己となり、1881年に明治法律学校を創立した。同年に元老院書記官、1890年に貴族院書記官となったが、1891年に39歳で死去。 明治大学の創立者の中で39歳という若さで亡くなっており、他の2人に比してあまり目立たないのは、このためでもある。 生地である鯖江市の鯖江資料館に胸像が建つ。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「矢代操」の詳細全文を読む
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