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矢内 理絵子(やうち りえこ、1980年1月10日 - )は、日本将棋連盟所属の女流棋士。東京大学大学院総合文化研究科客員准教授。埼玉県行田市出身。身長165cm。血液型O型。 関根茂九段門下。女流棋士番号16。本庄東高等学校卒。日本将棋連盟女流棋士会会長を務めた(2013年4月 - 2015年6月)。 == 人物 == *愛称は「やっぴぃ」「やうたん」。また、自身は応援ページのBBSで、「りえりえ」のハンドルネームを名乗ったことがある。 *石橋幸緒、千葉涼子と共に、同世代の実力者グループを形成し、「花の80年生まれ」と呼ばれる。特に、千葉とは奨励会で同じ道を目指していたライバルであり友人でもある。 *かつては、清水市代・中井広恵の2強に阻まれタイトルを取れないことも多かったが、2006年に7年4ヶ月ぶりにタイトル(女流名人)を獲得し、2008年には女王も獲得して二冠になるなど、ベテラン世代の牙城を崩している。 *華のある女流棋士の一人として、テレビや解説の聞き手などの仕事を多く持つ。 *元々父親が将棋好き(アマチュア四段程度の腕前)で、女流育成会にも「気がついたら入れられてた」「そのまま何となくここまできちゃった」ため「女流棋士になりたいとも全然思ってなかった」という。 *10代の頃、奨励会の対局で大逆転負けを喫した際、悔しさのあまり、自分の腕時計をトイレの地面に投げつけたという逸話がある。同じく奨励会員であった千葉涼子(当時の姓は碓井)はその現場に居合わせていたが、矢内に注意して口論になったという〔。 *趣味は、映画鑑賞(アクションもの)、ドライブ、吹き矢。 *特技は幼少時から習っていたピアノで、腕前は「アマ強豪クラス」。過去には女流棋士会のイベントでショパン『幻想即興曲』の演奏を披露したこともある〔。 *座右の銘は「戦いは最後の5分間にある」(ナポレオン・ボナパルトの言葉)。 *2007年の日本女子プロ将棋協会の設立(女流棋士会の分裂)に際しては設立準備委員を務め、積極的に発言・活動していたが、同年4月に突然、準備委員の辞任が発表され、日本将棋連盟に残留した。その経緯については明らかにされておらず、謎のままである。 *タイトル戦で常に和服(振袖・袴)を着用する(男性棋士はタイトル戦での和服着用が慣例化しているが、女流棋士の場合はそうではない)。 *好物は納豆。 *左利きだが、対局は右手を使っている。 *熱狂的な読売ジャイアンツファンである。 *毎朝5 - 10kmのウォーキングを日課としている。 * 2013年7月、東京大学大学院総合文化研究科客員准教授に就任。東京大学教養学部前期課程体験ゼミナール「将棋で磨く知性と感性」を分担担当する(他に堀口弘治(七段、同客員教授)、勝又清和(六段、同客員教授)が担当)。 *2013年9月4日、スポーツ報知が婚約を報じた。相手は30代の精神科医で矢内のファン。矢内にファンレターを送ったことから交際に発展。同年12月1日に椿山荘で挙式と披露宴を行った〔。 *2015年5月、体調不良により休場を発表した。休場期間は同年5月1日から翌年3月末日まで〔http://www.shogi.or.jp/topics/news/2015/05/post_1202.html〕。 *2015年8月、第1子の妊娠を発表。同年12月15日に男児を出産した〔矢内理絵子女流五段が第1子男児出産「想像以上の難産」 - スポーツニッポン・2015年12月18日〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「矢内理絵子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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