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矢吹光頼
矢吹 光頼(やぶき みつより、生没年不詳)は、戦国時代の武将。陸奥石川氏の家臣。薩摩守。行重の子。弟に野内光房。 矢吹氏は袖ヶ城を居城とし、光頼は石川昭光の家老を務めたといわれる。 天正5年(1577年)4月、昭光と同盟関係にあった浅川義純が佐竹氏に反逆するが失敗し、居城の浅川城を追われたため、浅川城は昭光に預けられ、城代として光頼が入った。天正10年(1582年)頃には浅川義純・豊純父子が浅川城に復帰している。 天正17年(1589年)10月の伊達政宗による二階堂氏攻略の際には、石川昭光とともに須賀川城攻めに協力し、落城後は昭光が須賀川城主となり、城代として光頼が須賀川城に入城した。 天正18年(1590年)、豊臣秀吉による小田原の役が起こると、その後の奥州仕置により、主家の石川氏は改易とされ、矢吹氏は伊達氏に従って角田へ移ったという。 category:戦国武将
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「矢吹光頼」の詳細全文を読む
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