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矢吹秀一[やぶき しゅういち] 矢吹 秀一(やぶき しゅういち / ひでかず、1849年(嘉永2年10月) - 1909年(明治42年)12月16日)は、日本の陸軍軍人。旧名恒蔵。陸軍中将勲一等男爵。 ==経歴== 本籍静岡県。一橋家家臣の子弟として江戸浅草に生まれ家臣として徳川慶喜に仕えた。その後幕府陸軍に転じてフランス式兵学を学び幕府の歩兵差図役下役を務め、慶応4年(1868年)1月の鳥羽伏見の戦いに従軍し負傷した。維新後は沼津兵学校に学び、明治4年(1971年)に退校して陸軍に奉職した。 1886年(明治19年)5月、陸軍省工兵局次長となる。1887年(明治20年)6月、工兵局長に進み、1889年(明治22年)11月、工兵大佐に昇進。1890年(明治23年)3月、軍務局工兵事務課長に就任し、同年8月、工兵監に転じた。1894年(明治27年)9月、第1軍工兵部長に発令され日清戦争に出征。鴨緑江架橋を成し遂げている〔『旧幕臣の明治維新』138頁。〕。 1895年(明治28年)1月、陸軍少将に進級し、1898年(明治31年)1月、再び工兵監に就任。1900年(明治33年)4月、陸軍中将に進んで翌年7月に休職となった。 1904年(明治37年)10月、日露戦争では留守第1師団長として復帰し、1906年(明治39年)3月には第1師団司令部付となり、同年4月に休職。1907年(明治40年)3月2日に予備役編入となり〔『官報』第7100号、明治40年3月4日。〕、同年9月21日、軍功により男爵位を授けられた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「矢吹秀一」の詳細全文を読む
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