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矢野兼三[やの けんぞう]
矢野 兼三(やの けんぞう、1896年(明治29年)9月13日〔『新編日本の歴代知事』435頁。〕 - 1981年(昭和56年)2月19日〔『読売新聞』1981年2月21日朝刊、23面の訃報より。〕)は、日本の内務・警察官僚。官選富山県知事、陸軍司政長官。 ==経歴== 大阪市出身〔。矢野治三郎の三男として生まれる。1919年、私立関西大学法律学科を卒業し桜セメントに入社。1920年10月、文官高等試験行政科試験に合格。1921年、内務省に入省し社会局嘱託となる〔〔『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』229頁。〕。 以後、京都府愛宕郡長、警視庁事務官、青森県書記官・学務部長〔『官報』第1655号、昭和7年7月7日。〕、千葉県書記官・警察部長、警視庁官房主事、岡山県総務部長などを歴任〔『人事興信録』第14版 下、ヤ15頁。〕。 1938年4月、富山県知事に就任。戦時下の対応に尽力。1941年1月に休職となる〔。1942年7月7日、陸軍司政長官に発令〔『官報』第4647号、昭和17年7月8日。〕。同年8月1日、第25軍軍政監部付・西海岸州(州都パダン)長官に就任し、1944年4月まで在任した〔『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』138頁。〕。 戦後、永田精機 (株) 常任監査役を務めた〔。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「矢野兼三」の詳細全文を読む
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