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石上 勝男(いそのかみ の かつお、生没年不詳)は奈良時代の貴族。左大臣・石上麻呂の子。官位は正五位上・散位。名は勝雄・堅魚とも表記される。 養老3年(719年)従六位下から従五位下に叙爵。神亀元年(724年)聖武天皇の大嘗祭が行われた際には兄弟の石上乙麻呂・石上諸男や従七位上・榎井大嶋らと内物部を率いて神楯を斎宮の南北二門に立てる。この儀式は物部系の職掌であり〔榎井氏も石上氏と同じく物部氏系の氏族。〕、父・麻呂も持統4年(690年)に神楯を立てている。神亀3年(726年)従五位下から従五位上に叙される。天平3年(730年)正五位下に進み、天平8年(736年)正五位上に至る。 == 官歴 == ※以下、『続日本紀』の記載に従う。 * 養老3年(719年)正月13日:従五位下に叙爵。 * 神亀3年(726年)正月21日:従五位上に叙せらる。 * 天平3年(730年)正月27日:正五位下に叙せらる。 * 天平8年(736年)正月21日:正五位上に叙せらる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「石上勝男」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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