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石上宅嗣 : ウィキペディア日本語版
石上宅嗣[いそのかみ の やかつぐ]

石上 宅嗣(いそのかみ の やかつぐ、天平元年(729年) - 天応元年6月24日781年7月23日))は、奈良時代後期の公卿文人は石上朝臣、のち物部朝臣、石上大朝臣。左大臣石上麻呂の孫。中納言石上乙麻呂の子。官位は正三位大納言正二位
== 経歴 ==
天平勝宝3年(751年正六位下から従五位下に昇叙・治部少輔に任ぜられ、天平勝宝9年(757年)従五位上・相模となる。天平宝字3年(759年三河守、天平宝字5年(761年上総守。同年遣唐使の副使に任命されたが、に渡ることなく、翌天平宝字6年(762年藤原田麻呂に交代して辞任している。天平宝字7年(763年文部大輔
藤原宿奈麻呂大伴家持佐伯今毛人とともに、当時の権力者である太師(太政大臣恵美押勝を除こうとして失敗、天平宝字8年(764年)正月に大宰少弐に左遷されるが、同年9月に発生した藤原仲麻呂の乱により恵美押勝が失脚すると、宅嗣は復権し同年10月正五位上常陸守となった。
その後の道鏡政権下では順調に昇進し、天平神護元年(765年従四位下中衛中将、翌天平神護2年(766年)には参議として公卿に列し、同年正四位下に昇叙。神護景雲2年(768年)には従三位に叙せられた。
宝亀元年(770年称徳天皇の崩御に際して、参議として藤原永手らとともに光仁天皇を擁立する。光仁朝でも重用され、宝亀2年(771年中納言、宝亀11年(780年)には大納言に昇進し、右大臣大中臣清麻呂内大臣藤原魚名に次いで、太政官で第三位の地位を占めた。また、この間大宰帥式部卿中務卿皇太子傅を歴任する一方、宝亀6年(775年)物部朝臣、宝亀10年(779年)石上大朝臣に改姓している。
天応元年(781年)4月に正三位に叙せられるが、同年6月に没し、その後正二位の位階を贈られた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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