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石上息嗣 : ウィキペディア日本語版
石上息嗣[いそのかみ の おきつぐ]
石上 息嗣(いそのかみ の おきつぐ、生没年不詳)は、奈良時代貴族。名は奥継とも記される〔『続日本紀』では天平宝字7年まで「奥継」とする。〕。中納言石上乙麻呂の子。官位従四位上大宰大弐
== 経歴 ==
天平宝字4年(760年北陸道巡察使に任ぜられ(この時の官位従六位上河内少掾)〔『続日本紀』天平宝字4年正月21日条〕、天平宝字6年(762年従五位下〔『続日本紀』天平宝字6年正月4日条〕・播磨介に叙任される〔『続日本紀』天平宝字6年正月9日条〕。
天平宝字7年(763年少納言に任ぜられ一時京官に復するが〔『続日本紀』天平宝字7年4月14日条〕、天平宝字8年(764年)兄・宅嗣が当時の権力者である太師(太政大臣)・恵美押勝を除こうとして失敗し大宰大弐左遷された影響によるものか〔『続日本紀』天平宝字8年正月21日条〕、息嗣も西海道節度使に転じ、藤原仲麻呂の乱終結後の同年11月には二階昇進して正五位下に叙せられるとともに、西海道節度使を解かれている〔『続日本紀』天平宝字8年11月12日条〕。
天平神護元年(765年称徳天皇紀伊国行幸した帰途で河内国に逗留した際、河内守であった息嗣は正五位上に昇叙された〔『続日本紀』天平神護元年閏10月3日条〕。その後、称徳朝では左衛士督〔『続日本紀』神護景雲2年11月13日条〕・美濃守を歴任した〔『続日本紀』神護景雲3年6月9日条〕。
光仁朝では丹波守〔『続日本紀』宝亀2年閏3月1日条〕・大蔵卿〔『続日本紀』宝亀5年3月5日条〕・造東大寺長官〔『続日本紀』宝亀7年3月6日条〕・大宰大弐〔『続日本紀』宝亀8年10月13日条〕を歴任する傍ら、宝亀2年(771年従四位下〔『続日本紀』宝亀2年11月25日条〕、宝亀8年(777年)従四位上に至った〔『続日本紀』宝亀8年正月7日条〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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