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石井修三 : ウィキペディア日本語版
石井修三[いしい しゅうぞう]

石井 修三(いしい しゅうぞう、文政12年(1829年) - 安政4年9月29日1857年11月15日))は、幕末期の幕臣蘭学者長崎海軍伝習所第一期伝習生。、信恕。幼名・江川修三、別名・習斉、周斉、周蔵など。写真、肖像画等は一切残っていない。 
== 経歴 ==

* 伊豆韮山四日町北条 漢方五香家 江川家に生まれる。
父石井右仲は韮山代官所出仕の漢方医であったが修三が幼少時に亡くなる。 
韮山代官所家臣塾にて教育を受ける。
代官所出仕につき父子共石井姓を名乗る。  
* 1847年(弘化4年)江川坦庵推挙により江戸蘭学塾坪井信道の日習堂に学ぶ 19歳
日習堂名簿 習斉 この頃より諱 信恕 信は坪井信道 恕は江川坦庵。
* 1849年(嘉永2年)日習堂終了後 韮山代官所蘭所翻訳方として江戸屋敷に出仕し多くの蘭書を翻訳する。最初の翻訳書として和蘭国製鉄論が存在するが、当時の西洋知識は未熟であり、誤訳が多かった。
矢田部郷雲、中浜万次郎、鈴藤勇次郎等と共に過す。当時、中浜万次郎とともに英和辞典の作成を目指すが未完に終わる。もし、この英和辞書が完成していたら日本最初の英和辞書となっていた。
台場築城に参画。
韮山代官所手代、幕府大小砲習練所御鉄砲方付手代教授方。
* 1855年(安政2年)ロシア軍艦ディアナ号沈没につき代船ヘダ号建造のため戸田仮奉行所に出仕し、洋式船ヘダ号の建造に従事する。
 * 江川坦庵臨終に立ち会う「江川坦庵公臨終の記」を残す。 
 * 長崎海軍伝習所 第一期伝習生として長崎に留学 造船を学ぶ。
* 1855年(安政4年)長崎海軍伝習所終了 日本最初の海軍士官に任官
 江戸築地軍艦操練所 教授方に任官
 * 教授方に任官6か月後の1855年(安政4年)9月29日 芝新銭座江川屋敷前にて遭難死
戒名 求法院欣入日淨信士。 
没後は徳川幕府世襲の伊豆韮山代官江川家一族の眠る菩提寺本立寺に墓石あり、先祖は江川一族と考えられる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「石井修三」の詳細全文を読む



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