翻訳と辞書 |
石井忠時[いしい ただとき]
石井 忠時(いしい ただとき)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。肥前国戦国大名龍造寺隆信・政家および鍋島直茂・勝茂の家老職を務める。佐賀藩祖・鍋島直茂の正室陽泰院の従兄にあたる。佐賀藩独礼石井清左衛門家第2代当主。 ==生涯== 千葉興常および龍造寺家兼・隆信の重臣であった石井忠清の三男忠信(伊予守)の嫡男として誕生。父忠信は、元亀元年(1570年)の今山の戦いで、鍋島直茂の奇襲部隊に逸早く馳せ参じた武勇の将として知られていた。それにより鍋島氏との縁故も深かった。龍造寺隆信に長く仕え、肥後守の名乗りを賜る。肥前国佐嘉郡飯盛城主となり、90町の所領を得た。 天正12年(1584年)、沖田畷の戦いで本家の石井信易、信忠兄弟が討死した後は、石井嫡男家(和泉守家)の重鎮として活躍した。嫡男は重次で石井伊予守家(清左衛門家)の第3代当主を継ぐ。なお、伊予守家は後に独礼(上士)の家格で遇されている。次男忠易は、本家和泉守家第5代当主を相続した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「石井忠時」の詳細全文を読む
スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース |
Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.
|
|