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石井正能 : ウィキペディア日本語版
石井正能[いしい まさよし]
石井 正能(いしい まさよし、? - 正保2年2月9日1645年3月6日))は、江戸時代前期の肥前国佐賀藩士。島原の乱一番槍の勇将。通称は伝右衛門。法名は法性院日佑。
== 来歴 ==
生家は、佐賀藩主鍋島家の藩祖以来の外戚家門で、代々重臣をつとめた石井家(三河守家)。祖父石井生札(義元)は、藩祖鍋島直茂の家老をつとめた。
正能は、長じて初代藩主鍋島勝茂の家臣となる。島原の乱に出陣した際には、同族の石井正之と示し合わせて、敵陣一番乗りを成し遂げ、一躍英雄となる。
その後、勝茂に重用され、勝茂が江戸に参勤する折には常に同行していたが、一方で江戸在府中、鍋島主膳と偽名を名乗って、吉原遊郭に通い始める。さらに国許では、妻が正能の弟と不義密通騒ぎを起こしており、親族からことごとく義絶され、石井家一族から正能の屋敷は「畜生門」と呼ばれていた。
そんなある時、江戸の佐賀藩邸に吉原から使者が来て、遊女からの手紙をなんとか「鍋島主膳」という侍に渡さなければならないという。藩邸では「鍋島主膳なる侍はいない」と応答するが、その使者の話からどうやらその侍が正能であることがわかってしまう。勝茂は他の家臣を吉原に派遣し、事実を確認させるも、正能の吉原通いは紛れもない事実であった。しかし勝茂は、正能が石井生札の孫であることや、彼自身も島原の乱一番槍の勇者であることを考慮し、咎めることなく、とりあえず正能に佐賀への帰国を命じる措置をとった。
しかし、佐賀に帰国した正能を追いかけて、馴染みの遊女が佐賀城下の正能の屋敷に訪ねてきてしまう。さすがに困惑した正能は、やむを得ずその遊女を屋敷に入れたが、このこと一切が勝茂の知るところになり、切腹を申し付けられた。家禄は没収され、家督も廃絶した。この一件は『葉隠』で記されている。
その後、正能の家督は孫石井氏久が回復し、家老に累進している。また、子孫からは国学者石井松堂や、戊辰戦争時の新政府軍海軍副参謀石井富之助などが出ている。

まさよし

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「石井正能」の詳細全文を読む



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