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石井義太郎 : ウィキペディア日本語版
石井義太郎[いしい よしたろう]

石井 義太郎(いしい よしたろう / ぎたろう、慶応2年7月27日1866年9月5日) - 昭和2年(1927年2月16日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将
== 来歴 ==
佐賀城下水ヶ江にて、士族石井忠方の子として生まれた。明治19年(1886年)12月、海軍兵学校12期)を卒業。兵学校時代の同期生には、同じ佐賀県出身の江頭安太郎らがいた。1888年(明治21年)1月、海軍少尉に任官。
明治25年(1892年)12月、海軍大尉に昇進し「筑波」航海長に就任。以後、「千代田」「扶桑」「吉野」「金剛」の各航海長を歴任。明治31年(1898年)2月、海軍少佐に昇進した。同年12月、「平遠」副長となり、その後、「宮古」副長、海兵監事兼「筑波」副長を経て、明治33年(1900年)9月、海軍中佐に進級し佐世保海兵団副長に就任。
明治34年(1901年)2月、「常磐」航海長に転じ、以後、「朝日」航海長、「出雲」副長を歴任。明治38年(1905年)1月、海軍大佐を拝命し横須賀鎮守府付兼横須賀海軍工廠艤装委員に着任。同年4月、「韓崎丸」艦長に就任。以後、海防艦沖島」、巡洋艦阿蘇」の各艦長を歴任し、練習艦隊の1艦として渡米した。
明治42年(1909年)10月、横須賀鎮守府付となり、1910年(明治43年)4月、横須賀工廠検査官に転じた。翌年1月には巡洋戦艦鞍馬」艦長兼横須賀工廠艤装委員に就任。在任中に遣英艦隊の1艦として渡英している〔部下に樺山可也大谷幸四郎佐藤三郎住山徳太郎阿武清井上成美原清戸塚道太郎らがいた。〕。明治44年(1911年)12月、海軍少将に進み海軍教育本部第1部長に着任。大正元年(1912年)12月に待命となり、大正2年(1913年)5月、予備役に編入され、大正11年(1922年)7月、後備役となった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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