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石井 輝男(いしい てるお、男性、1924年〈大正13年〉1月1日 - 2005年〈平成17年〉8月12日)は、日本の映画監督・脚本家である。本名は北川 輝男(きたがわ てるお)。 新東宝で作品を発表した後東映に移り、『網走番外地シリーズ』が連続NO.1ヒット。東映のヒットメーカーの一人でありながら、1968年(昭和43年)より東映ポルノ「異常性愛路線」と呼ばれる一連のエログロ作品を発表した。また、松竹や日活でも作品を発表している。1970年代までに東映のエログロ作品とアクション映画を量産し、1974年(昭和49年)には『直撃! 地獄拳』シリーズをヒットさせた。1990年代はつげ義春・江戸川乱歩の世界へ傾倒した。 == 人物 == * 東映プロデューサーの天尾完次は「石井は同じ東宝出身の黒澤明の対極に位置する」と評している。 * 東宝時代は撮影助手に従事していたが、東宝争議にともなう新東宝への移籍と同時に助監督に変更する。 * 渡辺邦男、成瀬巳喜男、清水宏などの助監督に付く。また、田中絹代監督作品の助監督もした。娯楽映画を量産していた渡辺からは早撮りを習い、清水からは脚本を学んだものの、助監督時代は成瀬に大きな影響を受けており、成瀬調の作品の企画を会社に出していたが全て却下されたという。 * 成瀬の助監督時代に、成瀬作品の産みの親である脚本家の水木洋子の作品の仕事を渇望していたが、水木に嫌われていた、とする説がある。 * 東京大学出身者が多かった新東宝では、学歴がない石井は冷遇されていた。監督昇進後も高い技術、モダニズムを評価され、ヒットに恵まれながらも完成度の高い映画作家とは逆の方向へ走り続け、むしろそれによって映画賞などとはまったく無縁の逆巨匠として未踏の位置を築き上げた。インタビューでもタッチの統一とか整合性は嫌いと語っており、ウェルメイドに仕上げる技術は十分に持ち合わせながらも、あえて作品を破壊せずにおれない性向をあらわにしている。 * 2006年(平成18年)8月5日、石井の生前の意思により、網走市内の潮見墓園に墓碑が建てられ、遺骨が納められた。「安らかに 石井輝男」と記された墓碑の碑文は、高倉健によるものである。また、石井の功績を讃え、博物館網走監獄の正門前に石碑“映画『網走番外地』撮影地の碑”が建てられ、同年8月6日に除幕式が行われた。 * 2006年8月12日、矢口将樹監督によるドキュメンタリー『石井輝男 FAN CLUB』が公開された。 * 2010年、ダーティ工藤監督によるドキュメンタリー『石井輝男映画魂』が公開された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「石井輝男」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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