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石亭の戦い[せきていのたたかい]
石亭の戦い(せきていのたたかい)とは、228年8月に中国揚州の石亭(現在の安徽省潜山県)で呉と魏の間に起こった戦い。 == 呉の謀略 == 魏の揚州牧兼都督軍事であった曹休は、曹丕(文帝)の時代からの魏の軍事面での重鎮の一人であった。揚州を任されて以降は、呂範を破り審悳を斬るなど、しばしば呉に苦汁を舐めさせており、呉側からは韓綜のような降伏者も出ていた。こうした中、呉の孫権は鄱陽郡の太守であった周魴を用いて、魏への偽装投降をするように命じた(呉志「周魴伝」)。これは曹休を呉の領内に誘い込んで、殲滅するための計略であった。ただ、曹休は長年揚州方面での軍役を積んだ人物であったことから、周魴は偽装投降の芝居に徹底を尽くした。例えば周魴は曹休に、投降の意思を七通にも及ぶ手紙で伝え、彼の屋敷に孫権の詰問の使者まで訪れさせたり、さらに役所の前で断髪して謝罪させたりというようなことを行わせた。領内でも芝居をしたのは、魏の間諜が潜り込んでいる事を恐れたからであろう。この迫真の演技に、曹休はすっかり騙されてしまったのか、荊州の軍事を任されていた司馬懿と、豫州の軍事を任されていた賈逵までをも別働隊として、総勢10万もの兵を率いて呉に進軍させた。
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