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石出帯刀[いしで たてわき] 石出帯刀(いしで たてわき)は、江戸幕府伝馬町牢屋敷の長官である囚獄(牢屋奉行)の世襲名。 ==出自== 初代の石出帯刀は当初大御番を務めていたが、徳川家康の江戸入府の際に罪人を預けられ、以来その職を務めるようになった。石出左兵衛・勘介から町奉行に出された石出家の『由緒』によると、当初は本多図書常政と名乗っていた。後に在所名に因んで石出姓に改めたとされているが、現在の千葉市若葉区中野町千葉中の石出一族の出身。本来石出帯刀とは、一族の長の名である(『旧妙見寺文書』)。慶長18年9月3日(1613年10月16日)没。法名は善慶院殿長応日久。台東区元浅草に現存する法慶山善慶寺の開基はこの初代帯刀である。石出姓は、千葉常胤の曾孫で下総国香取郡石出(千葉県東庄町石出)を領した石出次郎胤朝に由来する。 『千葉縣海上郡誌』に三崎庄佐貫城々主・片岡常春の将として、石出帯刀五郎昌明の名が見られる。また、『天正十八年千葉家落城両総城々』という文書には「石出城 石出帯刀」という名の記録が残っている。なお、足立区千住掃部宿の開発者、石出掃部介家に伝わる『由緒』には、掃部介義胤の弟として、初代石出帯刀慶胤の名が記されているが、仔細は不明である。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「石出帯刀」の詳細全文を読む
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