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石出祐二 : ウィキペディア日本語版
駿傑悠志[しゅんけつ ゆうじ]

駿傑 悠志(しゅんけつ ゆうじ、1976年7月13日- 本名:石出 祐二(いしで-))は、埼玉県三郷市出身(生まれは東京都葛飾区)で放駒部屋所属の元大相撲力士。身長176cm、体重128kg。最高位は西前頭12枚目(2005年9月場所)。得意技は左四つ、寄り。趣味は読書。血液型はAB型。
出羽平(平)、大翔山(西野)とは幼馴染である。
駒光の四股名と駿傑の四股名は両方とも知人が命名した(余談だが、以前同じ放駒部屋に駒光という力士が存在した。また、2007年5月場所には同部屋の林田が駒光と改名、さらに偶然にも駿傑の引退と同時に引退している)。なお、駿傑と改名するときには当初は「俊傑」とする予定だったが、字のバランスなどを考え「駿傑」となった。
== 来歴 ==
1992年3月場所初土俵。軽量で出世が遅れたが、着実に番付を上げていった。一時は部屋から脱走を試みたが、若者頭花ノ国に説得され事なきを得た。2000年11月場所に東幕下3枚目で7戦全勝優勝し、初土俵から約9年かかって翌2001年1月場所に十両に昇進した(この時の四股名は駒光)。もろ差しを果たしての速攻を得意としていたが、変化技に頼って自ら墓穴を掘ることも多く、肘の怪我や糖尿病にも悩まされ、しばらく十両に定着できなかったが、2004年11月場所、3度目の十両昇進を果たし、その場所に12勝3敗で十両優勝を果たす。翌場所も勝ち越し、2005年3月場所には新十両からは約4年、初土俵からは13年もかかってようやく念願の新入幕を果たした。
しかし、新入幕の場所では6勝9敗と負け越し、再び十両に陥落した。そして十両筆頭でむかえた翌5月場所、初日若兎馬に勝利したものの、5連敗などで3勝7敗となってしまったが、その後5連勝し、8勝7敗と勝ち越した。 そして再入幕となった翌7月場所では序盤から好調で、9勝6敗と初の幕内での勝ち越しを果たした。しかし、自己最高位で迎えた翌9月場所は星が延びず、終盤粘ったものの、7勝8敗に終わった。四股名を2003年7月場所に駒光から本名の石出に戻したあとは入幕後もしばらくそれで取っていたが、2005年11月場所に駿傑と改名した。改名して初の場所、西前頭13枚目で迎えた2005年11月場所は序盤から絶不調で、初勝利は3日目の隆乃若戦で、11日目までは2勝9敗と十両陥落の危機だったが、12日目から4連勝し、辛うじて幕内残留を決めた。
しかし、東前頭15枚目で迎えた翌2006年1月場所も先場所と同じように序盤から絶不調で、先場所と同じく11日目を終えた時点で2勝9敗だったが、先場所のような終盤の巻き返しはなく、終始絶不調で4勝11敗という幕内に入ってからは自己最低の成績で大きく負け越してしまい、翌3月場所は十両に陥落。その場所も本来の力が出せず西十両5枚目で6勝9敗に終わり、翌5月場所も東十両9枚目で先場所と同じ成績に終わり、7月場所の番付は西十両13枚目と、いよいよ負け越せば成績次第で幕下陥落の危機に追い込まれたが、10勝5敗の好成績で危機を脱した。2007年7月場所では番付を十両筆頭まで戻した。しかし5勝10敗と大負けし、久しぶりに幕内に上がることは出来なかった。西十両11枚目で臨んだ2008年3月場所では3勝12敗と大きく負け越し、引退を表明した。かつて力士の「32歳全盛説」を唱えていたが、自身はそれに届かぬまま相撲協会には残らず、現役を退くこととなった。引退後は、元関脇の貴闘力が経営する焼肉『ドラゴ』に勤務していた。そして2012年4月29日に開店した元大関の琴光喜の焼肉店『やみつき』の料理長となった〔元大関・琴光喜が焼き肉店オープン「今は競馬ぐらい」  スポーツ報知 2012年4月28日〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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