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石原 保太郎(いしはら やすたろう、1858年(安政5年) - 1919年(大正8年)8月12日)は、日本の牧師である。 石原萬年・かつの長男として備前国岡山に生まれた。岡山の普通学校を卒業後に横浜に行き、アメリカ合衆国長老教会の宣教師ヘンリー・ルーミスの英語塾で学ぶ。英語塾でルーミスの講義によりキリスト教に触れて、回心する。1874年(明治7年)7月5日横浜第一長老教会でルーミスより洗礼を受ける。 その後、C・カラゾルスの築地大学校に入学する。1877年(明治10年)に開校された東京一致神学校に転校し、1880年(明治13年)第1期生として卒業する。 1880年11月26日に日本基督一致教会牧師に任命されて、新栄教会の牧師になり、1889年まで勤める。1889年(明治22年)には巡回牧師になり、各地で伝道をする。1892年(明治25年)より高台教会(高輪教会)の牧師になる。1895年(明治28年)より、品川教会を兼任する。1901年(明治34年)には芝教会の牧師になる。 1906年(明治39年)7月日本基督教会伝道局の招聘を受けて、満州の営口、安東県、朝鮮の京城(ソウル市)の教会の牧師を務める。 1910年(明治43年)に帰国し、東京の赤坂教会の主任牧師になり、1912年(明治45年)に礫川教会の牧師を兼務する。1916年(大正5年)、赤坂教会を辞任して、終生礫川教会の牧師に専念した。1919年(大正8年)に死去する。 == 参考文献 == *『キリスト教人名辞典』日本基督教団出版局、1986年 *『日本キリスト教歴史大事典』教文館、2003年 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「石原保太郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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