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石原留吉 : ウィキペディア日本語版
石原留吉[いしはら とめきち]

石原 留吉(いしはら とめきち、1875年明治8年)2月 - 1940年昭和15年)12月8日〔『昭和物故人名録』〕)は、高松市長
== 経歴 ==
香川県木田郡西植田村(現在の高松市)出身。井口秀八の二男として生まれ、石原キクの養子となった〔『人事興信録』〕。1896年(明治29年)、東京法学院(現在の中央大学)を卒業し、1904年(明治37年)に高等文官試験に合格した。岐阜県知事官房主事〔『明治39年 職員録(乙)』印刷局、1906年〕、千葉県君津郡長〔『千葉県君津郡誌』下巻 p.826〕、岡山県内務部第三課長〔『明治41年 職員録(乙)』印刷局、1908年〕を歴任。
1909年(明治42年)に韓国政府応聘者となり〔『官報』第7784号、明治42年6月8日〕、韓国併合後は京城府書記〔『明治44年 職員録(甲)』印刷局、1911年〕、慶尚南道事務官〔『大正2年 職員録(甲)』印刷局、1913年〕、京城府事務官〔『大正4年 職員録(甲)』印刷局、1915年〕、新義州府尹〔『大正8年 職員録(甲)』印刷局、1919年〕、元山府尹〔『大正10年 職員録(甲)』印刷局、1921年〕を歴任した。
退官後の1924年大正13年)から高松市長を務めた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「石原留吉」の詳細全文を読む



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