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石原 繁三(いしはら しげぞう、1914年1月17日 - 1946年4月〔出典:大道文著 『新プロ野球人国記』〕 )は、千葉県出身のプロ野球選手(投手)。 戦後東映フライヤーズで内野手として活躍した石原照夫は弟に当たる。 == 来歴・人物 == 1930年に千葉県の成田中学校から岩手県の遠野中学校へ転校。1932年に遠野中のエースとして東北大会を優勝し、第18回全国中等学校優勝野球大会へ出場した。卒業後に鉄道省へ入る。 1936年に東京セネタースへ入団。岩手県の学校卒業者として初のプロ野球選手となった〔岩手県出身者としては、1937年春に大東京軍に入団した煤孫伝が初のプロ野球選手である。煤孫伝(ブログ・愛輪塾管理人のドタバタ日記 2011年11月12日記事) 〕。この年の春季リーグで9試合に登板し4勝を記録。翌年に召集されるが、1940年に復帰。1941年は大洋軍へ移籍し、同年すぐに黒鷲軍へ移籍。1942年に20勝を記録した。 翌年に再び応召し、終戦後(1946年4月)に戦地から引き上げるが日本に着いた直後(別府港〔出典:大道文著 『新プロ野球人国記』〕とも下関港〔〕とも伝わる)倒れ、3日後に病死した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「石原繁三」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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