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石原 誠(いしはら まこと、1879年(明治12年)5月18日 - 1938年(昭和13年)12月11日)は日本の生理学者、医学博士〔田辺福徳「心電図の歴史:和蘭(オランダ)から札幌まで」、p11 、札幌厚生病院循環器科サイト(2009年10月10日閲覧)。〕。 == 経歴 == 兵庫県伊丹出身。1901年(明治34年)東京帝国大学医科大学卒。当初、内科医を目指すものの中耳炎のため聴診・打診に支障をきたしたため生理学に転向〔する。卒業後、欧州留学(マールブルク、ウィーン〔)を命ぜられ、留学中に京都帝国大学福岡医科大学助教授に任官される。1906年9月同大学教授に就任する。 1911年(明治44年)に日本で初めて心電図を記録する〔など心臓の自働性の研究(心臓前房の電流曲線の研究)に業績をあげ、コイやフナの血清学的研究などで知られた。 1938年(昭和13年)12月11日、肺癌のため逝去〔、墓所は多磨霊園に存在する。 弟は、石原修(1885-1947)。 父は、石原亮。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「石原誠」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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