|
石口 広宗(いしぐち ひろむね、生年不明 - 天正10年6月3日(1582年7月2日))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。上杉氏の家臣。通称は采女。 元は北条高広の家臣。天正6年(1578年)の御館の乱では北条城に籠城して奮戦したが、天正9年(1582年)3月に降伏し、以後上杉景勝に仕えた。 その後景勝に越中国魚津城に送られる。魚津城の戦いの際には守将として奮戦したが、織田信長の家臣柴田勝家に攻められ、天正10年(1582年)6月3日に弟内匠、兵部、大膳と共に自刃した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「石口広宗」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|