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石和温泉駅(いさわおんせんえき)は、山梨県笛吹市石和町松本にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・日本貨物鉄道(JR貨物)中央線の駅である。 == 歴史 == 明治期の中央線敷設に際して、山梨県では上野原 - 鳥原間に12か所の停車場の設置が内定していたが、このうち笹子トンネルを越えた初鹿野から甲府間の停車場は未定であった。笹子以西の予定路線は盆地北縁を北西に迂回し、上万力で笛吹川を渡河し、青梅街道と平行して西南へ進み東山梨郡岡部村松木付近で屈曲し、さらに西進し甲府へ至る東山梨郡・西山梨郡を通過するルートが想定された。 石和は江戸時代に甲州街道の宿駅である石和宿を中心とする宿場町として発展し、石和代官所が置かれ、鎌倉街道や秩父往還など脇往還が分岐し笛吹川を利用した舟運も行われており、峡東地域における一中心地であった。明治期には石和村に東八代郡の郡役所が設置されていた。一帯では養蚕蚕糸業が盛んで、ブドウなどの果樹・瓦などの特産物を産出していた。 中央線の予定路線が東山梨郡を通過しないことが判明すると、地元では特産物や製糸工場への石炭輸送の必要性から、予定路線が石和村に最も近接する岡部村に停車場を誘致する運動がおこり、石和村や岡部村をはじめ関係する東山梨・東八代両郡の諸村が合同で上申書を提出した。なお、東八代郡でも勝沼と関係の深い東部の諸村では運動に参加していない。 石和駅として開業した当時には笛吹川流路が駅舎のある岡部村(現駅舎と同位置)と甲州街道石和宿(現在の国道411号)の中間地点(現在の第二平等川付近)を東西に流れており、石和宿から笛吹川を北に渡った対岸の石和駅という名称は、駅舎の位置が石和宿に近いことから名付けられたものであった。開業から4年後の1907年(明治40年)には東郡地域を中心に県下に多大な被害を及ぼした明治40年の大水害が発生し、笛吹川は石和宿の南側を東西に流れる現流路に変わっている。 中央線の開通は石和をはじめ山梨県内の各地域へ大きな影響を与えるが、石和駅の開業による鉄道輸送の開始は養蚕・蚕糸業の更なる発展を促し、桑畑や製紙工場が増加し、果樹栽培も拡大した。一方、鉄道輸送の増加は陸上輸送や舟運、旧宿場での旅宿業の衰退を及ぼしている。また、中央線の開通は甲府を中心とする商業圏を確立させ、石和は峡東の一中心地としての役割が低下するとともに、甲府商業圏との関係を強めることになった。 戦後には養蚕業が衰退し、果樹栽培と石和温泉を中心とする観光業への依存を強め、石和温泉駅周辺も観光都市の玄関として道路整備が行われ、旅館街となっている。 2014年まで使われていた駅舎は木造2階建てで、駅舎内部には駅事務室と待合所があり、待合所には自動券売機(指定席券売機も含む)や出札窓口、自動改札機や有人改札通路のほか、みやげ物なども売るコーヒーショップや売店などがあった。この駅舎は築78年を経過しており、またバリアフリー化および駅北側からのアクセス改善を図る目的もあって、2014年3月から駅舎橋上化工事が行われ、その間は仮駅舎での営業となっていた〔2014年03月07日、山梨日日新聞記事〕。 2015年(平成27年)3月25日に橋上駅舎のうち南口の駅舎部分および西側の出入口、南北自由通路の南口側の部分の工事が完了し、使用開始となった〔。翌2016年(平成28年)2月12日には北口広場および自由通路の北口側も供用を開始した〔新装・石和温泉駅にワイン試飲機 観光案内所で全国初 (2016年2月13日、産経新聞)〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「石和温泉駅」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Isawa-onsen Station 」があります。 スポンサード リンク
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