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石垣 仁(いしがき ひとし、1953年9月25日 - )は、日本の元アマチュアボクシング選手、元プロボクサー。山形県飽海郡出身。モントリオールオリンピックバンタム級日本代表〔。第35代日本同級王者。プロ現役時代はヨネクラボクシングジム所属。酒田南高等学校、専修大学卒業〔。 == 来歴 == 1974年、テヘランで開催されたアジア大会にバンタム級で優勝〔。1974年から3年連続で全日本選手権同級に優勝を収めた〔。村田英次郎とは、アマチュア時代に3戦し、モントリオールオリンピック出場権をかけた試合も含め、いずれも判定勝ちしている。 1976年、モントリオールオリンピックにバンタム級の日本代表として出場し、7月20日に行われた1回戦では2R0分36秒DQ(disqualify; 反則などによる失格)勝利を収めたが〔〔Olympic Games - Montreal, Canada - July 18-31 1976 amateur-boxing.strefa.pl.〕、7月24日の2回戦でモントリオール・モスクワ2大会連続銅メダリストとなる(ソ連)と対戦し、0-5のポイント負けを喫した〔〔。この後、プロへ転向した。 1978年3月7日、プロデビュー6回戦は判定勝利となり、その後、5試合連続KO勝利を収めた。1978年度プロ・アマチュア年間表彰選手選考会で新鋭賞に選出された〔「DATA BOX 表彰選手、優勝・入賞者、代表選手一覧 - 年間表彰選手」『ワールド・ボクシング』4月号増刊、日本スポーツ出版社、2001年4月30日 共通雑誌コードT1109804040843 雑誌09804-4、126頁。〕。 1979年6月26日、日本バンタム級1位として同級の世界ランカー磯上修一(辰東)と対戦し、中盤までは打撃戦をリードしたが、7R、8Rとダウンを奪われ、9RにTKO負けを喫した〔。この試合は1979年度プロ・アマチュア年間表彰選手選考会で年間好試合賞に選出された〔。 1980年1月28日、ハリケーン・テル(石川)の持つ日本バンタム級王座に挑戦し、判定勝利により同王座を獲得した。同年5月3日、山形県体育館で、ハリケーン照とリングネームを改めた前王者を迎えての初防衛戦に9RKO負けを喫し、王座を失った。この後3勝 (2KO) を収め、1981年4月19日の勝利試合を最後に現役を引退した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「石垣仁」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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