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石岡康三[いしおか こうぞう]
石岡 康三(いしおか こうぞう、1941年4月16日 - )は、千葉県長生郡一宮町〔プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、40ページ〕出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。 == 来歴・人物 == 中学時代は遊撃手としてプレー〔。一宮商業高校から明治大学へ進学。東京六大学リーグでは1961年春季リーグに優勝。同年の全日本大学野球選手権大会では準決勝で日大に敗れる。リーグ通算36試合登板、10勝12敗、防御率1.78、143奪三振の記録をあげる。大学同期に倉島今朝徳がいる。 1964年に国鉄スワローズへ倉島とともに入団。本格派右腕と期待され、一年目のシーズン前半から先発に組み込まれたが結果を出せなかった。翌年以降も好調時には先発で起用されるが長続きせず低迷。しかし徐々に力をつけ、1968年に10勝をマークし、翌年も10勝し2年連続の2桁勝利を挙げた。1970年には開幕投手を務め、その後も勝ち星を積み重ねるが、1973年は6試合の登板に終わった〔。しかし、翌年は6勝5敗8セーブを記録し、この年から創設されたカムバック賞の最初の受賞者となった。1976年を最後に引退。その後はヤクルトの一軍投手コーチ(1977年 - 1978年, 1985年 - 1992年)と二軍投手コーチ(1979年 - 1984年)を務め、1978年のリーグ優勝、1978年の日本シリーズ優勝と1992年のリーグ優勝に貢献。 国鉄スワローズ〜ヤクルトスワローズまで選手として在籍した唯一の人物であり、石井一久は遠戚。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「石岡康三」の詳細全文を読む
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