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石川 修司(いしかわ しゅうじ、1975年9月25日 - )は、日本のプロレスラー。DDTプロレスリングでデビュー後、ユニオンプロレス再旗揚げに伴って同団体へ移籍し、解散とともにフリーランス。ユニオンでの異種格闘技戦やデスマッチ、バチバチへの参戦で闘いの幅を広げ、インディー界屈指の巨体とパワーを武器にしたファイトスタイルを身上としている。 == 経歴 == 岩手県立一関第二高等学校卒業。佐々木貴は高校の1年先輩であり、同じ柔道部に所属していた。プロレスラーを志望するにあたって佐々木からは反対されたが高木三四郎に巨体を見込まれ、27歳にしてDDTへ入団を果たす〔プロレスラー佐々木貴のバキューン日記、2009年8月30日『殿と大巨人 』2014.7.8閲覧〕。 ; 2003年 : 6月15日、DDT横浜赤レンガ倉庫大会において対スーパー宇宙パワー戦でデビュー〔。 ; 2004年 : 元ネオ・レディース 篠社長率いるS-DDTに加担し、本隊と対立する。S-DDT崩壊後はポイズン澤田JULIEに改造されて蛇光教団に入信し、戦闘員蛇イアントとなる。 ; 2005年 : 血清を飲んでポイズン澤田とともに真人間へと戻り、再旗揚げすることとなったユニオンプロレスに移籍。 ; 2006年 : ポイズン澤田とともに空手軍や旧ユニオン軍と抗争を展開。バチバチへも参戦を始めたことで、着実に地力を上げる。 ; 2007年 : ポイズン澤田がユニオンを離脱。ユニオンの新エースとして、佐々木恭介を中心とするSTYLE-E軍や、ZERO1-MAX 佐々木義人と抗争を繰り広げる。またDDTにもハワイ軍(aWo)の一員で"ハワイの戦いの神"というギミックのマスクマンKooとして参戦。第24代KO-D無差別級王者となるなど、躍進の年となった。 : 12月31日、プロレスサミットに出場し、房総ボーイ雷斗とのタッグで高山善廣、野橋真実組と対戦。 ; 2008年 : 3月16日、DDTの新たなサブブランドであるハードヒット旗揚げ戦で飯伏幸太に勝利。 : 5月24日、ハードヒット第2戦、パンクラスMISSION所属となった佐藤光留のプロレスデビュー戦の相手を務めるが、敗戦を喫した。 : 6月18日、ユニオン新木場大会、東京愚連隊のTAKEMURAとシングルマッチを行うが敗北。 : 8月9日、ユニオン新木場大会、木高イサミ、小笠原和彦と組んで東京愚連隊と6人タッグで対戦。32文ドロップキックでTAKEMURAからフォールを奪い、リベンジを果たした。 : 11月16日、ユニオン北千住大会でKO-D無差別級選手権に挑むが、高木三四郎に敗北。 : 11月30日、DDT 後楽園ホール大会でKO-Dタッグ王座に挑戦(パートナーは高木三四郎)。HARASHIMAの蒼魔刀でフォールを奪われ、敗北。 : 12月31日、プロレスサミットでメインの6人タッグ戦に出場。 ; 2009年 : 1月2日、大日本プロレス 後楽園ホール大会で宮本裕向、佐々木貴組を対戦相手に初の蛍光灯デスマッチに挑む(パートナーは伊東竜二)。タッグ戦ながらデスマッチ初挑戦で勝利を挙げた。 : 2月 - 5月、大日本最侠タッグリーグ戦にエントリー(パートナーは伊東竜二)。決勝戦まで駒を進めたが、伊東の負傷欠場により失格に終わる。 : 11月29日、DDT 後楽園ホール大会で飯伏幸太を下し、KO-D無差別級選手権を奪取。第30代王者となる。 : 12月16日、新木場大会にて木高イサミの挑戦を受け、初防衛を果たした。 : 12月27日、DDT 後楽園ホール大会にてHARASHIMAの挑戦を受け、2度目の防衛に成功。 ; 2010年 : 1月24日、新木場大会にて佐々木義人の挑戦を退け、3度目の防衛に成功。 : 2月11日、DDT 後楽園ホール大会にて男色ディーノの挑戦を退け、4度目の防衛に成功。 : 2月28日、新木場大会にて関本大介の挑戦を受け敗退、防衛に失敗する。 : 6月13日、大家健からKO-Dいつでもどこでも挑戦権の譲渡を受け、再び関本大介に挑戦するも敗退。自動的に両国大会のメインイベント出場がなくなる。 : 8月9日、大日本プロレス・名古屋大会、南野タケシと組んでの対伊東竜二・星野勘九郎戦(蛍光灯&凶器持ち込みデスマッチ)で勝利。試合後、関本に敗れDDT両国大会のメイン出場を逃した事に対する大日本への報復として、伊東竜二の持つBJW認定デスマッチヘビー級王座への挑戦を要求。 : 8月29日、大日本・後楽園大会、9日名古屋でのデスマッチヘビー挑戦要求に対し、アブドーラ小林から「大日本は1回指名しただけでやらせてくれる様な安い店じゃない」と糾弾。これに対し、次期挑戦者決定戦の開催を要求、受理される。 : 9月19日、大日本・後楽園大会デスマッチヘビー級次期挑戦者決定戦・蛍光灯261本デスマッチで、アブドーラ小林に勝利、伊東への次期挑戦権を獲得する。 : 10月17日、大日本・後楽園大会デスマッチヘビー級選手権試合・「デスマッチ3大アイテム 蛍光灯&ガラスボード&画鋲4万9205個デスマッチ」で伊東竜二に挑戦するも敗退。 : 10月24日、JWP北千住大会、倉垣翼とのシングル戦で勝利。 ; 2011年 : 5月4日、DDT 後楽園ホール大会でディック東郷を下し、KO-D無差別級王座を奪取。第36代王者となる。 ; 2012年 : 3月26日、大日本・後楽園大会で6人タッグでの蛍光灯デスマッチでデスマッチヘビー級王者・アブドーラ小林に勝利。試合後、小林から次期挑戦者に指名される。 : 5月4日、ユニオン後楽園大会で入江茂弘と組んで佐々木義人・忍を下し、BJW認定タッグ王座を奪取。 : 5月5日、大日本・横浜文化体育館大会デスマッチヘビー級選手権試合「自作凶器持ち込み蛍光灯306本デスマッチ」でアブドーラ小林に挑戦するも敗退。 : 6月17日、ユニオン北沢タウンホール大会でアブドーラ小林&伊東竜二を退けBJWタッグ王座初防衛。 : 7月15日、札幌テイセンホール大会で岡林裕二&忍に敗れタッグ王座を失う。 ; 2013年 : 1月2日、大日本・後楽園大会でのBJW認定デスマッチヘビー級王座戦でアブドーラ小林に勝利し第27代王者となる〔。4度の防衛を果たしたが、11月4日に木高イサミとの王座戦で陥落。この後ストロングBJへ転向し現行の主要ベルト3冠を狙うことを表明。 ; 2014年 : 5月31日、大日本後楽園大会で佐藤耕平と組んでヤンキー二丁拳銃(木高イサミ・宮本裕向)を下し、2度目のBJW認定タッグ王座を奪取。 : 7月26日、大日本後楽園大会で一騎当千strong climbの決勝戦に進出し関本大介を下して優勝。これにより当時BJW認定世界ストロングヘビー級王座だった石川晋也と「最強の石川対決」を決定させる。 : 8月13日、王座の前哨戦として行われた試合で、自身の投げ技により石川晋也が負傷しタイトルマッチが延期となり、そのまま石川晋也が引退したことから「最強の石川対決」は幻となった。 : 12月21日、第5代BJW認定ストロングヘビー級王座決定戦が行われることになり、河上隆一を破って第5代王座を獲得。大日本で初となる主要ベルト3冠の獲得を達成した。 ; 2015年 : 1月3日、全日本プロレスに参戦。曙や大森隆男など、自身と近い大きさのヘビー級レスラーとぶつかりあった。 : 10月のユニオンプロレス解散を機にフリーランスに。主に全日本及び大日本に参戦。DDTにも時折参戦。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「石川修司」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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