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石川宗恒 : ウィキペディア日本語版
石川宗恒[いしかわ むねつね]

石川 宗恒(いしかわ むねつね)は、江戸時代伊達氏家臣。仙台藩の家格は一門筆頭。角田石川氏第5代当主。
== 生涯 ==
万治2年(1659年)、岩出山伊達氏第2代当主・伊達宗敏の六男として生まれる。幼名は右衛門
貞享元年(1684年)、母(千代鶴姫)の弟角田石川氏第4代当主・石川宗弘の養子となる。貞享2年(1685年)、前藩主伊達綱宗偏諱を受け、通称を中務、諱を宗恒と名乗る。その後、通称を大和と改めた。元禄元年(1688年)8月、養父宗弘の娘玉千代姫と結婚。元禄2年(1689年)8月、玉千代姫が死去。元禄3年(1690年伊達敏親の養子となっていた、宗弘の末子、松之助(村弘)を呼び戻し養嗣子にする。元禄4年(1691年)1月、養父宗弘の死去により家督相続し、角田邑主となる。
元禄6年(1693年)専制政治を行う藩主伊達綱村に対する一門の不満が高まり、一門七家8名(石川宗恒、伊達宗氏伊達宗元伊達村隆伊達宗親白川宗広三沢宗直伊達村元)によって諫言書を提出した。この君臣の対立は、元禄16年(1703年)の綱村隠居へと繋がった。
元禄9年(1696年)4月13日死去。享年38。家督は養子の村弘が相続した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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