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石川岩男[いしかわ いわお]
石川 岩男(いしかわ いわお、1955年11月10日-1983年3月29日)は、元オートバイ・ロードレースライダー。改名のため石川 岩夫との表記もある。東京都出身。 == 略歴 == 1977年ジュニア350ccクラスランキング2位。1978年エキスパートクラスに昇格し、同時に350ccクラスにヤマハTZ350を駆り全8戦優勝してチャンピオンに輝く。1979年は同クラス3位。1980年からは500ccクラスにステップアップし、1981年にスズキワークス入り。1983年から本格的なロードレース世界選手権参戦を開始するが、同年3月、フランスGPの練習走行中に不慮の事故に遭い他界した。 速さに加え、ウルトラマンを模したツナギを着用するなど、明るいキャラクターで多くのファンから愛されていた。WGPに参戦する時も「ちょっと新婚旅行に行ってくるわ」と新妻を携えてのコンチネンタルサーカス参戦であったが、3月29日、第2戦フランス・ル・マン・ブガッティサーキットの第2コーナーに減速して進入した石川のマシンに、後続のイタリア人ライダーロリス・レッジアーニが超高速で追突、内蔵破裂により帰らぬ人となった。彼の遺体は4月4日、1月19日に結婚したばかりの夫人と長年の名コンビであったメカニック周郷弘貴と共に帰国、6日に葬儀が行われた。 この時代は、日本人がワークス体制でコンチネンタル・サーカスとも呼ばれたWGPに出場できる環境になく、プライベーターとして参戦することもヨーロッパでの実績が無い日本人としては稀であり、そうした背景の中でスズキの市販レーサーRGB500に乗ってのフランスGPからの挑戦であった。 この年は“キング”ケニー・ロバーツと“若き天才”フレディ・スペンサーがWGP史上に残る激しいチャンピオン争いを繰り広げ、片山敬済がランキング5位となった年であった。 また、日本国内においてはホンダのエースであり、NR500の唯一の勝利を挙げた木山賢悟が事故死した年でもある。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「石川岩男」の詳細全文を読む
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