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石川 康(いしかわ こう、1970年3月10日 - )は、ボリビア・サンタ・クルス県出身で、日本国籍の元サッカー選手。ポジションはDF(サイドバック、センターバック)。 ==プロフィール== === 幼少期からボリビアでの選手生活 === 1970年3月10日、ボリビアのオキナワ移住区に生まれる。父親、母親ともに沖縄県からボリビアへの移民だった。兄弟は4人で、その末っ子だった〔。家は貧しく、電気と水道がなかったので、石川康は毎日ドラム缶を引っ張り、家から約8km先まで水汲みに出かけていくのが幼少の頃の日課だった〔。また庭先で飼っていた鶏の卵を兄と共に街まで売りに行く仕事もやっていた〔。石川康が7歳のときに、農地を売った金を元に母親が小さなスーパーマーケットを始め、生活が安定〔。このとき、初めて家に電気と水道が引かれた。 ある夏休みに石川康は兄とサンタ・クルス・デ・ラ・シエラにあったサッカー選手養成学校、アカデミア・タウイチ・アギレラの練習に参加する。兄のプレーはアカデミア・タウイチのコーチの目にとまり、熱心に入校を勧められたが、これを断っている〔。石川康もアカデミアへ入ることを本人が強く希望し、親の説得を続けた。そして、10歳のときに入校をした〔。 この時のアカデミアのチームメイトに、マルコ・エチェベリ、エルウィン・サンチェスがいた。後に、この2人を含むアカデミア・タウイチのチームメンバー達は、ボリビア代表の主力メンバーとなり1994年のFIFAワールドカップ本大会への出場をきめ、ワールドカップのフィールドに立った。 アカデミア・タウイチの主力メンバーとして1984年、1985年のゴシアカップ連覇に貢献した。中国で開催された1985年の第1回ワールド・ジュニア・ユース(U-16世界選手権)にアカデミア・タウイチのチームがそのままボリビア代表として出場〔。中国、アメリカ、ギニアと比較的恵まれたグループリーグに入った。石川康は3試合すべてに出場するも、チームは未勝利でグループステージ敗退であった。 また2年後のカナダで開催された1987年の第2回ワールド・ジュニア・ユースにもアカデミア・タウイチ・アギレラのチームが参加。一次リーグ敗退であったが、17歳だった石川は、この時も主力選手として3試合すべてに出場している〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「石川康」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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