翻訳と辞書
Words near each other
・ 石川市
・ 石川師範学校
・ 石川年足
・ 石川幸子
・ 石川幹人
・ 石川幹子
・ 石川広季
・ 石川広志
・ 石川康
・ 石川康仁
石川康勝
・ 石川康宏
・ 石川康晴
・ 石川康次
・ 石川康輝
・ 石川康通
・ 石川康長
・ 石川廉勝
・ 石川弁
・ 石川弁護士会


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

石川康勝 : ウィキペディア日本語版
石川康勝[いしかわ やすかつ]

石川 康勝(いしかわ やすかつ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将、大名。信濃奥仁科藩主。石川数正の次男。
== 生涯 ==
数正と共に徳川家康に仕える。家康の次男秀康豊臣氏の人質に取られた時、兄康長と共に同行した。後、父の出奔に伴い、父兄と共に豊臣秀吉に仕えた。父の死後、遺領の信濃松本藩10万石のうち、安曇郡1万5,000石を相続。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは、兄と共に東軍に与して所領を安堵されている。
慶長18年(1613年)、兄の領地隠匿に連座したとして改易された(大久保長安と縁戚関係にあったことも理由とされる)。慶長19年(1614年)に大坂の陣が勃発すると豊臣方に与して大坂城に入る。大坂冬の陣における真田丸の戦いの最中に配下が火薬を誤爆させ、康勝自身も負傷したが、この騒ぎを東軍が内応の合図と勘違いした一件が有名である。翌慶長20年(1615年)の大坂夏の陣において天王寺・岡山の戦いの天王寺口の将として出陣、真田信繁隊と運命を共にして乱戦の中で戦死した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「石川康勝」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.