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石川 忠雄(いしかわ ただお、1922年(大正11年)1月21日 - 2007年(平成19年)9月25日)は、日本の中国現代史家。慶應義塾長を戦後最長、鎌田栄吉以来歴代2番目の長さとなる4期16年務めた。 1991年文化功労者。1995年勲一等旭日大綬章、2000年文化勲章受章。 == 概要 == 中国政治史研究者で、及川恒忠に師事。主著は中国共産党に関する先駆的業績となった『中国共産党史研究』。初期に中国憲法史と中国共産党史を研究。次いで中華人民共和国の政治及び外交の研究を行ない、同時に日中国交正常化へ至る政策決定にも関与した。1984年から日中友好21世紀委員会の日本側座長を務め、日中関係の基礎作りに邁進した。 1956年よりハーバード大学に赴任し、ベンジャミン・シュウォルツ博士他中国研究者と交わり、共産主義中国の地域研究を学ぶ。教え子に橋本龍太郎や、中国政治研究者の徳田教之、山田辰雄、小島朋之、国分良成、朝鮮政治研究者の小此木政夫などがいる。 大学行政方面の活動でも知られ、大学審議会会長として大学の脱レジャーランド化を推し進め、臨時教育審議会会長代理として大学入試センター試験の新設と慶大入試での導入を推進した(結果、慶大入試では自身の出身学部である法学部がセンター試験方式を、医学部が部分的導入を実現した)。慶大塾長としては、大学改革の先駆けとして1990年の湘南藤沢キャンパス(SFC)開設に尽力した。現代中国研究者として出発しながらも、比較的若い年齢の頃からこうした大学行政・文部省の文教行政に深く関与したため、本来の研究対象である現代中国研究については中途半端な業績しか残せなかった。彼の勲一等叙勲や文化功労者と文化勲章受章も、中国研究の功績が認められてのものではなく、大学行政、とりわけ文部省の文教行政に協力したことへの功績が認められてのことである。 他、大学設置審議会会長、日本私立大学連盟会長、全私学連合代表、青少年問題審議会会長等を歴任。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「石川忠雄」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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