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石川 時光(いしかわ ときみつ、生年不詳 - 建武2年4月1日(1335年4月24日))は、鎌倉時代後期の武将。大和源氏の流れを汲む陸奥石川氏13代目当主。石川盛義の四男。従五位下宮内大輔、従四位下大膳大夫。夫人は岩城朝義の娘、義光の父、詮持の祖父。 元徳2年(1330年)4月、兄である12代当主家光が没すると、その長男光英が幼少であったため光英を養いつつ家督を継いだ。光教を名乗っていたが、北条時宗から一字を受けて時光と改める。 元弘元年(1331年)、後醍醐天皇が隠岐に遷され、天皇の呼びかけに応えて倒幕の兵が各地で挙がる。元弘3年(1333年)5月17日、長男義光の軍は新田義貞に武蔵国で合流し、鎌倉幕府討伐に参戦した。同年7月、時光は兵を率いて上洛し、従五位下宮内大輔に任ぜられる。 建武元年(1334年)2月、一族大寺光広、小高光顕とともに上洛。時光は従四位下大膳大夫、光広は左京亮、光顕は主膳正にそれぞれ任じられる。 建武2年(1335年)4月1日没し、長男の義光も父よりも先立ったので、甥の光英がその跡を継いだ。 == 系譜 == 石川時光━義光(従四位下大膳大夫)┳詮持(第15代当主) ┣長女(早世) ┣光春 ┣光俊 ┣光時(面川氏の祖) ┣二女(早世) ┣光定 ┣光久 ┣師宜 ┗八男(早世) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「石川時光」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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