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石川 歩(いしかわ あゆむ、1988年4月11日 - )は、千葉ロッテマリーンズに所属するプロ野球選手(投手)。 == 経歴 == === プロ入り前 === 富山県魚津市生まれ。魚津市立本江小学校3年次から本江スポーツ少年団で野球を始める〔「石川投手「1位」に歓喜 ロッテ交渉権 」読売新聞2013年10月25日〕。魚津市立西部中学校では軟式野球部に所属した。 富山県立滑川高等学校では硬式野球部に所属。3年夏の県大会はエースとして3試合に先発するも3回戦で富山第一に3対6で敗れ、甲子園出場はならなかった。1学年下に竹嶋祐貴がいる。もともと高校で野球をやめ、服飾関係の専門学校に進むつもりだったが、周囲に勧められ大学のセレクションを受け合格した〔(朝日新聞2014年11月27日)記事。〕。 中部大学に進学後は1年春から公式戦に出場。2年次には春の大学選手権に出場し全国デビュー。秋にはリーグ戦で3勝を挙げ、さらには大学日本代表候補に選ばれるなど飛躍の年となった。4年次にはエースとしてチームを牽引し、春は最優秀防御率(0.69)、秋には5勝を挙げるなど順調に実績を挙げ、プロからも注目されたが志望届は出さず、社会人野球の強豪・東京ガスへ進んだ。 東京ガス入社後は春のJABA東京スポニチ大会の予選リーグ初戦(かずさマジック戦)でいきなりの公式戦デビュー。5回2失点で社会人初勝利を挙げた。同年の第82回都市対抗野球大会でも一回戦(伯和ビクトリーズ戦)で先発出場したが、3回4失点でノックアウトされた。 プロからの注目度も高まった2年目のシーズンであったが、都市対抗でチームは予選で敗退。石川自身も目立った投球が出来ず補強選手にも選ばれなかった。日本選手権も予選敗退と屈辱のシーズンとなり、10月のドラフト会議では指名漏れした。 「プロを意識するあまり、安定した調子を維持しようと練習量を減らしてしまった」〔『グランドスラム』、41巻、小学館、2013年、93頁。ISBN978-4-09-102377-3〕と前年を反省して臨んだ3年目は、ウェイトトレーニングやランニングを徹底的に行ったことで球速が150km/hを突破しコントロールも安定感を増した。都市対抗では2試合に先発し15回を投げ被安打8で1失点と安定した投球を見せ、チームを8強に導き大会優秀選手に選ばれた。9月には東アジア競技大会の日本代表に選出され、クローザーとして4試合に登板し計1失点に抑え優勝に貢献。 2013年は表彰対象大会で7試合に登板、54回で自責点わずか3に抑え、防御率0.50を記録。年間最優秀防御率表彰を受けた(同年防御率1点未満を記録したのは石川のほか東明大貴(富士重工業、オリックスドラフト2位指名)の2人のみ)。 2013年のドラフト会議で読売ジャイアンツと千葉ロッテマリーンズの2球団から1位指名を受け、抽選の結果ロッテが交渉権を獲得。ドラフト会議を東京都大田区内の東京ガス野球部のクラブハウスで見ていた本人は、抽選を引き当てた伊東勤監督の、クジをひいた右腕を高くあげたガッツポーズを見て鳥肌がたったと感想を語っている〔。 11月28日、東京都内のホテルで入団交渉を行い、契約金1億円プラス出来高払5000万円、年俸1500万円で合意し、契約後の記者会見で「これから期待に応えられるような選手になれるように頑張っていきたいと思います」と抱負を語った。背番号は「12」に決まった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「石川歩」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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