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石川真守[いしかわ の まもり] 石川 真守(いしかわ の まもり)は、奈良時代中期から平安時代初期にかけての貴族。大臣・蘇我馬子の後裔で、中納言・石川名足〔生年とされている729年は、父とされる名足の生年と1年しか違わず、矛盾がある。〕または名足の叔父にあたる中納言・石川豊成〔宝賀寿男編著『古代氏族系譜集成』古代氏族研究会、1986年にあるが明治以降に作成された系図によるもので史料性が疑わしい。〕の子。 == 経歴 == 天平神護2年(766年)従五位下・近江介に叙任。称徳朝では右京亮・中務少輔を歴任する。 神護景雲4年(770年)称徳天皇の崩御後まもなく少納言に任ぜられ、宝亀2年(771年)従五位上に叙せられるが、翌宝亀3年(772年)遠江守次いで越中守として地方官に転じる。宝亀7年(776年)中務少輔次いで式部少輔に任ぜられて京官に復し、宝亀11年(780年)正五位下に叙せられている。 桓武朝に入り、延暦2年(783年)従四位下・大宰大弐に叙任される。大宰府での官職を勤め上げ、延暦9年(790年)参議兼右大弁となり公卿に列した。議政官として右大弁・大宰大弐・刑部卿などを歴任する一方、延暦10年(791年)従四位上、延暦13年(794年)正四位下、延暦15年(796年)正四位上と昇進している。 延暦17年(798年)4月に致仕し、同年8月19日卒去。享年70〔。結果的に石川氏(蘇我氏)からの最後の公卿となった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「石川真守」の詳細全文を読む
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