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石川 総孝(いしかわ ふさたか、延享3年(1746年) - 明和6年7月1日(1769年8月2日))は、常陸下館藩の嫡子。第3代藩主・石川総候の長男。母は大久保忠方の娘。正室は三浦明次の娘。官位は従五位下、主水正。 == 生涯 == 下館藩嫡子として生まれ、宝暦10年将軍徳川家治に拝謁し、翌年(1761年)叙任される。しかし、家督を継ぐことなく明和6年(1769年)に死去した。子は娘一人(阿ふ・早世)で継子なく、弟の総弾が養嗣子となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「石川総孝」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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