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石川 総朗(いしかわ ふさあきら)は、江戸時代中期の旗本。総氏系石川家(保久石川家)3代。 == 生涯 == 元禄5年(1692年)総昌の四男として誕生し、兄早世により嗣子となる。母は大嶋石川家の石川義當の娘。宝永6年6月12日(1708年7月29日)将軍徳川家宣に拝謁し、父の致仕を受け享保8年7月23日(1723年8月23日)家督を継ぐ。 生来病弱で享保17年閏5月2日(1732年6月23日)築地萬年橋の屋敷にて死去した。その跡は、兄弟である大久保総比の次男で養子の総共が継いだ。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「石川総朗」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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