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石川 総英(いしかわ ふさひで、元文3年(1738年) - 宝暦9年閏7月5日(1759年8月27日))は、伊勢亀山藩の世子。初代藩主・石川総慶の長男。正室は松本藩主・戸田光雄の娘。子は総純(長男)。官位は従五位下、下野守。 総慶の備中松山藩主時代に嫡子として生まれる。寛延3年(1750年)徳川家重に拝謁し、宝暦元年(1751年)に叙任する。しかし、家督相続前の宝暦9年(1759年)に早世した。総英には長男・総純がいたが幼少だったため、世子には弟の総尭が就いた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「石川総英」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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