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石川貞政[いしかわ さだまさ]
石川 貞政(いしかわ さだまさ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将、旗本。 == 生涯 == 天正3年(1575年)、石川光政(杢兵衛)の子として誕生。 はじめ、豊臣秀吉に馬廻衆として仕えた。徳川家康の会津征伐に従軍。続く関ヶ原の戦いにおいては東軍として福島正則隊に属して戦い、石田三成隊の服部新左衛門を討ち取り、これが一番首の功名となった。その後、豊臣秀頼に仕えて5020石を知行する。慶長19年(1614年)、片桐且元暗殺の命を受けるが、且元が大坂城を退去すると前後して退去し、高野山に上り剃髪した。大坂の陣では徳川方として戦い、旗本となる。寛永年間に『寛永諸家系図伝』が編纂されるに及び、姓を石川から石河としている。 明暦3年(1657年)、死去。 なお、美濃国加々島を領し、貞政、貞利、貞代まで3代は交代寄合として、その後は、若年寄支配寄合となる。子孫は4250石の大身旗本として存続した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「石川貞政」の詳細全文を読む
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