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石戸四六 : ウィキペディア日本語版
石戸四六[いしど しろく]

石戸 四六(いしど しろく、1941年6月4日 - 1980年8月2日)は、日本プロ野球選手投手)。秋田県大館市出身。
== 来歴・人物 ==
長男ではあるが、6月4日に生まれたため、「四六」というユニークな名前が付けられた。”六四”ではないのは、父親によると「六四だと頭が重くて、下が軽いからフラフラするだろう。四六だと下が大きくて安定する。男が一生、フラフラ生きてどうするのだ」とのこと。秋田商業高校時代はエースとして1958年の夏の甲子園に出場するも、1回戦で板東英二を擁する徳島商業高校と対戦し、自らのエラーもあり0-3で敗れた。
ノンプロの日立製作所に進み、1962年、日本鉱業日立の補強選手として都市対抗に出場。同年国鉄スワローズに入団する。入団契約後、契約金(支度金)を使ってタクシーに乗り、東京から大館の実家まで帰ったといわれる〔【球談徒然】型破りスター“酒仙投手”石戸四六 - スポーツ - ZAKZAK 〕。1965年の大洋戦では桑田武に打たれた1安打無四球で完封するなどこの頃から主力投手に加わり、金田正一が去った後の弱体化したスワローズにあって、サイドハンドから繰り出す鋭いシュートを主武器にスライダーシンカーナックル等を投げ孤軍奮闘していた。1968年には最終戦の広島戦で勝利し金田に次いで球団2人目の20勝を達成。翌年も16勝を挙げるが、体調を崩し1970年は3勝15敗に終わった。7月中日ドラゴンズ戦で11連敗をストップする勝利を挙げたのがプロでの最後の勝利になり、また彼の最後の意地であった。肝機能障害に慢性胃炎を併発していたこともあり現役を引退。
無類のアルコール好きで、いわゆる酒仙投手の異名を取った選手の一人である。試合が終わり宿舎に戻ると、ステテコ姿で日本酒を湯のみ茶碗で嗜むのが常であった。その風格に、チームメイトたちは ”村長”の愛称を捧げ奉った。また、打倒巨人に闘志を燃やし、巨人に勝った際は「幸せだ。俺はこの時の為に生きている。」と言って日本酒を飲んだという。
現役引退後は故郷に戻り、スナック『神宮』を開いた。経営は順調であったが、寿司店(球寿司)に手を拡げて失敗し、失意の晩年を送る。失意の底であった1978年、ヤクルトが初優勝。記念品として贈られたネクタイピンに涙を流して喜んだという。
1980年8月2日、肝硬変のため逝去。享年39。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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