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石橋凌 : ウィキペディア日本語版
石橋凌[いしばし りょう]

石橋 凌(いしばし りょう、 1956年7月20日 - )は、福岡県久留米市出身の俳優ミュージシャン歌手である。本名、石橋 秀樹(いしばし ひでき)。福岡県立久留米高等学校卒業。血液型はAB型。アパッチエイベックス所属(業務提携)。アメリカの映画俳優組合(SAG)の会員でもあり、アメリカではゴールデン・メディア・グループが代理している。
==略歴==
俳優として名高いが、1980年代に熱狂的な支持を得た伝説のロックバンドARBボーカルである。1977年、ボーカルを探していたバンドに石橋がオーディションで合格し加入した(ARBでの活動についてはARB (バンド) を参照。ここでは石橋凌の人物、俳優活動、ソロ活動のみ記す)。
5人兄弟の五男。兄の影響で、中学の頃からジョン・レノンビートルズローリング・ストーンズボブ・ディランのファンであり、中学1年生のときに父が他界したことがきっかけで、高校2年生のときミュージシャン志望を決意した(父の死についてはソロシングル「カクテル・トゥナイト」に収録された「12の頃」で歌われている)。
デビュー時の所属事務所はシンコーミュージックで、事務所側はアイドルグループとして売り出そうとしていた。ピンク・レディー前座をしたこともある。しかし、1978年10月、シングル「野良犬」でデビューするも、方向性の違いから1年足らずでシンコーミュージックから独立した。
独立したものの、レコードの売れ行きやコンサートの動員に悩んでいた20代半ば、ドラマーの相原誠とともにスポーツクラブに行ったところ、金子正次とともにいた俳優の松田優作に偶然出会う。その後、優作に自身の悩みを相談し、しばらく経った時、優作側からの誘いで、彼が監督をつとめた映画『ア・ホーマンス』に出演。それまで演劇経験がほとんどなかった石橋は、優作から厳しい指導を受けて演じ切り、同作でキネマ旬報新人男優賞を受賞し、本格的にスクリーン進出。大河ドラマ武田信玄』、映画『ボクの女に手を出すな』『Aサインデイズ』等に出演した(この頃はミュージシャンが俳優をしている印象もあり、石橋は中途半端になるなら俳優は辞める気でいた)。
尊敬していた松田優作が、ハリウッド進出のさなかに病死したことを受け、彼の死後の1990年、ARBを解散し音楽活動を封印、俳優業に専念した。俳優としてのスタートは遅かったが、1990年代半ばには不動の地位を築く。『クロッシング・ガード』(1995年)の演技がアメリカで認められた後、1997年ARBを再結成、第4期ARBが誕生し、1998年2月シングル「TOKYO OUTSIDER」で復活。音楽活動と俳優業と両立していたが、2006年3月1日に石橋が脱退を表明、ARBは活動停止。
石橋自身「追う役より追われる役の方が多かった」と話すほど、かつてはヤクザ役が多かったが、現在は刑事判事など多岐に渡る役柄をこなす、渋い俳優として知られる。1995年よりアメリカの映画俳優組合(SAG)の会員となる。2006年6月1日付けで鈍牛倶楽部からスティングカンパニーに移籍。2008年4月にエイベックスへ移籍する。
妻は、女優原田美枝子

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「石橋凌」の詳細全文を読む



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