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石母田定頼[いしもだ さだより]
石母田 定頼(いしもだ さだより)は、江戸時代の武士。仙台藩重臣。 == 生涯 == 元和5年(1619年)、仙台藩重臣・石母田宗頼の嫡男として胆沢郡水沢城にて生まれる。幼名は菊助。 寛永6年(1629年)、奥山常良を烏帽子親として元服し、綱頼と名乗るが、正保元年(1644年)に片倉重長・富塚重信らと共に徳川家綱の諱を避けて定頼に改名する。 正保3年(1646年)10月、江戸詰めとなり、奉行職代行を命ぜられる。翌正保4年(1647年)5月、父・宗頼の死去にともない家督を相続して栗原郡岩ヶ崎城6,500石を継ぎ、同年12月には、将軍家への御礼のため、使者として江戸城に登城して徳川家光に拝謁し、呉服一重を拝領する。 慶安元年(1648年)10月には再び江戸詰奉行の代行を勤めたが、ほどなくして帰国し、忠宗の近習として仕えていたが、慶安3年(1650年)5月20日、仙台屋敷にて病没。享年32。嫡男・永頼が家督を相続した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「石母田定頼」の詳細全文を読む
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