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石母田定頼 : ウィキペディア日本語版
石母田定頼[いしもだ さだより]

石母田 定頼(いしもだ さだより)は、江戸時代武士仙台藩重臣。
== 生涯 ==
元和5年(1619年)、仙台藩重臣・石母田宗頼の嫡男として胆沢郡水沢城にて生まれる。幼名は菊助
寛永6年(1629年)、奥山常良を烏帽子親として元服し、綱頼と名乗るが、正保元年(1644年)に片倉重長富塚重信らと共に徳川家綱の諱を避けて定頼に改名する。
正保3年(1646年)10月、江戸詰めとなり、奉行職代行を命ぜられる。翌正保4年(1647年)5月、父・宗頼の死去にともない家督を相続して栗原郡岩ヶ崎城6,500石を継ぎ、同年12月には、将軍家への御礼のため、使者として江戸城に登城して徳川家光に拝謁し、呉服一重を拝領する。
慶安元年(1648年)10月には再び江戸詰奉行の代行を勤めたが、ほどなくして帰国し、忠宗の近習として仕えていたが、慶安3年(1650年)5月20日、仙台屋敷にて病没。享年32。嫡男・永頼が家督を相続した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「石母田定頼」の詳細全文を読む



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