|
石浦 宏明(いしうら ひろあき、1981年4月23日 - )は日本のレーシングドライバー。東京都出身。 == 略歴 == 高校に通うかたわら17歳の1999年にカートレースにデビューする。デビュー戦は新東京サーキットヤマハクラス。いきなりポールトゥーウィンを現在も残るコースレコードで飾るという鮮やかなデビューであった。 その後、カートレースで実績を重ね、2002年にはザップスピードのドライバーオーデションを受け、フルサポートドライバーに合格。フォーミュラトヨタレーシングスクール(FTRS)では受験生40人全員が全日本カート経験者という中で非経験者ながら最終模擬レースで中嶋一貴や大嶋和也を抑えポールポジションを獲得するも、21歳という年齢を理由に最終選考会で不合格となる〔AUTOSPORT No.1409、95頁。〕。 2003年から2005年まではエッソ・フォーミュラ・トヨタシリーズに参戦する。両親がサラリーマン共働きのごく普通の家庭に育った〔AUTOSPORT No.1409、95頁。〕石浦には人脈が無かったため、参戦3年目は服部尚貴の電話番号を調べて営業を行い〔AUTOSPORT No.1409、96頁。〕、服部が作った若手ドライバー育成プロジェクトチームである「TeamNaoki」のサポートを受け参戦し、シリーズランキング3位・優勝2回を記録した。また、この年はGC-21シリーズにも参戦し、シリーズチャンピオンに輝いている。その後F3へのステップアップを目指すもシートが埋まっていたこと、5000万円の持参金を要求されたなどの理由でステップアップを果たせず〔AUTOSPORT No.1409、96頁。〕、この年の末に服部の提案でフォーミュラ・ニッポンのルーキーテストに、シートは獲得できなかったが「TeamNaoki」のスカラシップによりDocomo DANDELIONから参加した。 この頃資金が底を突いたため、石浦は残る100万円の元手でINGINGやザップスピードやハナシマレーシングから型落ちのシャシーやエンジンなどを借り、ボランティアのメカニックやTeamNaokiの後輩と共に「これでやめよう」という思いで2月に岡山国際サーキットで行われたF3合同テストに石浦曰く「勝手に混じった」〔AUTOSPORT No.1409、96頁。〕。ここでクラッチがすべるマシン・ツギハギだらけの体制でどのセッションでも上位タイムを記録し総合3番手を記録〔AUTOSPORT No.1409、96頁。〕。これを見たナウモータースポーツの藤田直廣が、速いのに不遇の男がいると関谷正徳に言ったことで〔AUTOSPORT No.1409、96頁。〕、2006年からは一度は落選したトヨタ・ヤングドライバーズ・プログラム(TDP)契約ドライバーとして、全日本F3選手権にステップアップ。最終戦で初優勝を挙げシリーズ9位の実績を残した。近代レースの成功法は如何にメーカーの支援の路線に乗るかで、石浦のように泥臭く這い上がるものは今日ではまず見かけず、石浦は「僕が最後じゃないですかね」と述べている〔AUTOSPORT No.1409、97頁。〕。 2007年は全日本F3選手権シリーズにTOYOTA TEAM TOM'Sから参戦。手堅いドライビングで全戦でポイントを挙げ、2勝・ランキング4位となった。この年よりSUPER GT・GT300クラスにもデビューし、TOY STORY Racing Team aprから出場、TDPの年下の先輩で仲のよい大嶋和也とトヨタ若手コンビを結成。2人のコンビは「ヤングガン」と呼ばれ、第2戦岡山ラウンドにて初優勝を飾り、第4戦セパンラウンドでも優勝するなど好成績を残し、GT300クラスのドライバーズチャンピオン〔シリーズ2位の高橋一穂・加藤寛規組とは同ポイントであったが、優勝回数の差でチャンピオンになった。〕に輝いた。 2008年は、服部尚貴がテクニカルディレクターを務めるTeam Le Mansよりフォーミュラ・ニッポンに参戦。SUPER GT・GT500クラスでは、土屋武士と共にTOYOTA TEAM TSUCHIYAのECLIPSE ADVAN SC430をドライブした。 2009年12月19日、ファッションモデルの久保寺瑞紀と結婚。久保寺は前述のSUPER GT「TOY STORY Racing Team」のイメージガールを務めていた。 2011年は土屋武士を監督に据えTeam Le Mansから分離されたTeam KYGNUS SUNOCOからフォーミュラ・ニッポン参戦、第6戦スポーツランドSUGOで2位に入るなど躍進を見せドライバーズランキング6位に入る。 2012年はル・マン24時間レースに参戦するトヨタ・TS030 HYBRIDのドライバーに起用されたため、フォーミュラ・ニッポンを離れることになったが、事前テストでクラッシュし背中を痛めたことから肝心のル・マンは欠場を余儀なくされた。一方でニュルブルクリンク24時間レースではトヨタ・86でクラス優勝するなど、悲喜こもごものシーズンとなった。 2014年はスーパーフォーミュラにp.mu/cerumo・INGINGから、3季ぶりにトップフォーミュラに参戦し、開幕戦鈴鹿で3位、第4戦もてぎで2位になるなどの活躍でドライバーズランキング5位となる。 2015年はスーパーフォーミュラには前年と同じ体制で臨み、第2戦岡山で小林可夢偉の猛追を振り切って悲願の初優勝を飾る。第4戦もてぎでもポールトゥウィンを果たして2勝目を飾るなど安定した活躍を見せ、自身初のドライバーズチャンピオンを獲得、大躍進の一年となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「石浦宏明」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|